母をディケアサービスに送りだし、ZUMBAを楽しみ、昼は独り自宅でいただく「残り物弁当」
さぁ!
午後は課題に取り組みます!
「奈良時代の女帝」
持統天皇
課題を選ぶにあたって、自分が取り組みやすい物を・・・と思い、「続日本紀」の時代で無知な私でも少しは頭に残っている人物。
百人一首の「春過ぎて 夏きにけらし しろたへの 衣ほすてふ 天の香具山」という句が好きでした。
画像はウィキペディアより引用
小学生の頃、百人一首でこの句をみつけて、遠い飛鳥の世界に思いを馳せました。
こんなきれいな句、どんな美貌の女性が詠んだのだろう・・・
それが持統天皇でした。
で、課題は「奈良時代の女帝」から「持統天皇」にしようと思ったのです。
でも残念。
持統天皇は645年ー703年没で、在位は690年ー697年。
つまり奈良時代ではなかった!!!
こんなことも知らずに課題に挑戦しようとしている自分が恥ずかしい😓
、
小学生の私が憧れた持統天皇。
飛鳥~奈良時代に多かった女帝(平安期には1人もいません)のほとんどが腰かけOL~ならぬ中継ぎ的存在であったのは明白ですが、この持統天皇は、夫である天武天皇と力を合わせ、その夫亡き後は、夫の理想を実現するために自ら天皇となり、日本で最初の大規模な都である「藤原京」をつくった方です。
わずか13歳で叔父である天武天皇と結婚した持統天皇。(現在で考えるとトンデモナイ結婚です)
しかし、小学生の私が想像していたような聡明な女性というよりは、なかなかしたたかな、いえかなりの悪女です、持統天皇👿
自分の息子である草壁皇子を天皇にするために、謀反をでっちあげてライバルの大津皇子を死においやるような女性なんです。
この大津皇子ってのが、文武両道頭脳明晰、おまけにかなりのイケメンらしいのです。(イケメン?遠い昔、誰の判断なんでしょうねぇ。)
これは、ドラマになります。
サスペンス2時間ドラマ!
天智天皇
天智天皇といえば、大化の改新で悪者蘇我入鹿をやっつけたヒーロー中大兄皇子ですよ。
持統天皇のおかあさんは遠智娘(おちのいらつめ)、蘇我倉持石川麻呂(そがのくらやまだ の いしかわまろ)の娘です。持統天皇のおじいちゃんですね。
このおじいちゃんというのは、苗字からわかるように、大化の改新前、悪事をさんざん働いていた蘇我入鹿の一族なんです。
天智天皇の義父にあたる蘇我倉持石川麻呂は、手助けをしてくれていたのに、「あの蘇我入鹿の親戚だから、用心のため殺しちゃおう!」と天智天皇に謀反の疑いで殺されてしまうのです。
あぁ、戦隊ヒーロー的な中大兄皇子ですが、用心深い性格なのか策略マスターというか、かなり決断力のあるドライな性格です。
草壁皇子と大津皇子
持統天皇が大津皇子を亡きものにした後もいろいろドラマがあります。
息子である草壁皇子が早逝してしまうのです。
孫に(草壁皇子の息子)位を譲るには幼すぎる。(後に文武天皇として即位します)
で、自分が天皇になるという。
女帝、持統天皇の誕生です。
持統天皇に関しては、このように面白い話が盛りだくさんなのですが、なにしろ課題である「続日本紀」の時代からはみだしているという現実。
仕方ないので、同じく天智天皇の娘であり、草壁皇子の妻でもある元明天皇についてのレポートを作成したいと思います。
あ、もうこんな時間。
レポートは手書きが規則なので、これから書きます。手で😞
明日のスクーリングに持っていかなくては!
母がディケアサービスから帰ってくるまであと2時間しかない!
・・・できる気がしない(笑)
ブログうってる場合か?