「木簡」ってご存知ですか?
画像はWikipediaより引用させていただきました。
古代の東アジアで墨で文字を書くために、短冊状の細長い木の板が使われたのです。
昔は紙が貴重品でした。
なので、紙の替わりに木片が使用されたのです。
近年、日本でも多数の木片が発見され、歴史を紐解く上で、貴重な史料となっています。
今日から通信大学のスクーリングが始まりました。
4日間。朝から夕方までびっちり講義です。
その中で「木簡」について学びました。
目次
日本の木簡
640年代からあり、急に多くなったのは天武天皇の時代です。
この時代に文字がかなり普及していたということです。
天武天皇って誰?
天智天皇って誰?
天智天皇は、645年の大化の改新を起こした(企てた?)飛鳥時代の元ヒーロー(なかなかの策略者であり、けっこう血も涙もない)
・・・このあたりの経緯については、過去のブログでどうぞ。
木簡の役割
木簡はドロドロの過去をほじくりかえすためにというよりは、当時の人々の暮らしぶりを知るのにとても貴重な史料です。
木簡を調べることで『日本書紀』『続日本紀』などの歴史書では知ることのできなかった重要なことがわかる第一次史料です。第二次史料とは、国家によって後世に編纂(へんさん)されたものです。
*「編纂」の「纂」って書けない。PC変換でよくぞ一発ででてくれました✌
1961年の平城京跡の発掘調査で大量の木簡が発見されました。
木簡は文字を削れば、何度も使用でき、メモ、伝票、手紙など短期間ですような時に多く用いられました。
加茂遺跡加賀郡牓示札
2000年夏に金沢市の北、津幡町加茂遺跡から加賀郡牓示札が発見されました。
この加賀郡牓示札には嘉祥年間(848~851)の年号があり、「朝は寅時(AM4:00)に農作業に出かけ、夜は戌時(PM8:00)に帰ること」から始まる生活の心得八か条が記された古代の「お触れ書き」です。
長期間掲示されていたので表面が風化し、墨の防腐作用で文字の部分だけ盛り上がり、344文字が残っていました。
記された内容は9世紀にしばしば出されていた個別の法令を集めたもので、全国に一斉に発布され、紙の文書をそのまま書き写したと考えられています。
このことは律令国家の公文書が地方の村にまで届いていることから行政支配を徹底しようとしていることがわかります。
長屋王家木簡
以前長屋王について記事にしました。
www.betty0918.biz
1986年にデパートの建設予定地の発掘調査で、あとでこの場所が左大臣長屋王の邸宅であったことが判明します。
その後調査が行われ、大量の木簡が発見されました。
和銅3(710)年~養老3(717)年までの長屋王邸宅の生活を伝える貴重な史料です。
この場所は、「そごう」が建設されるものの閉店となり、その後の「イトーヨーカドー」も閉店となったため「長屋王の呪いか?」と噂になりました。
日本史を時代区分すると
原始・・・旧石器 縄文 弥生
古代・・・飛鳥 奈良 平安
中世・・・鎌倉 南北朝 室町 戦国
近世・・・安土桃山 江戸
近現代・・・明治 大正 昭和 平成
今日のスクーリングでは奈良から平安までやる予定だったのに、タイムオーバーとなり、平安は明日になりました。
最終日までに終われる気がしない。
明日もがんばる
講師は前回のスクーリングと同じ先生だったのですが、私のことを覚えていてくださり「Bettyさん、久しぶり」と笑顔でお声をかけてくださいました。
学生は何百人もたくさんいるであろうに、覚えていてくださって感激しました。
こんな小さな幸せで明日も頑張れる!
大学まで片道1時間半かかります。
帰りの電車の中で二女から画像が届きました。
旦那様とご飯食べてきたって。