暮らしと勉強 Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。実家の片づけと空いた時間の勉強をメインに綴っていきます。

「拓北農兵隊」の歴史を「なつぞら」から知りました

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今日のNHK朝ドラ「なつぞら」で、「拓北農兵隊」に触れていました。

主人公「なつ」の同級生の山田君一家が「拓北農兵隊」なのです。

山田君のお父さん役は札幌市出身の戸次重幸さん。お母さん役は小林綾子さん。小林綾子さんは7:15からのBSNHK「おしん」の再放送から続けてみる「なつぞら」へと35年を経ての連投です(笑)

 

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2018年は北海道命名から150年の年でした。

時代の流れに翻弄され、ふるさとをあとにせざるをえなかった開拓者たちが木を1本ずつ切り倒し、土地を開拓していったのです。

 

有珠山の麓に広がる伊達市は人口3万5000人。
明治3年、道内で最も早く開拓のくわが入った町の1つです。

 

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画像はNHK札幌放送局のHPからお借りしました。

 

hiro-beans-attack-no1.hatenablog.com

 

そんな明治の開拓団の苦労から何十年も後、太平洋戦争でまた新たに開拓団が送られてきました。

それが「拓北農兵隊」です。

昭和20年の東京大空襲で焼け野原となった都心に、家を失い飢えに苦しむ人々があふれかえりました。

この時、国は食糧不足の都市から人の数を減らすことを画策し、北海道への移住開拓者を募りました。

1万7000人が臨時列車で北海道を目指しました。

しかしそれから苦しい「戦後開拓」が始まります。

実は、道内の農業に適した場所は、大正時代までにほとんど開拓し尽されていました。

戦後開拓の頃には、山岳部や湿地帯しか残されていなかったのです。

やらなければいけなかったのは、作物より先に地面を作ること。

 

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今日の「なつぞら」で放送された山田一家の苦悩がまさにこれですね。

山田一家は北海道での暮らしをあきらめ、東京に戻ることを考えています。

実際に入植地を離れ東京に戻っていった開拓者は大勢います。

 

江別市には世田谷区から拓北農兵隊に参加した開拓者が入植しました。

入植当初、江別の泥炭地が広がる原野。

溝を掘り、水を抜き、客土(土砂の搬入)などの土地改良がおこなわれ、厳しい冬の生活などの苦難に耐え、必死に切り開き、現在に至ります。

江別の世田谷地区、品川区から入植した角田村(現在の栗山町)などは戦後開拓が成功した地です。

現在の西野幌、美原、豊幌などの開拓地に広がる田園の奥に、先人たちの苦労の物語があります。

 

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北海道江別市の通称「世田谷部落」を作った世田谷区民からの開拓者は、教師、画家、俳優、鉄工業、菓子職人など農業とは無縁の人たちでした。

現在の江別市は人口12万人弱の市ですが、札幌市に隣接するその利便性から、札幌のベッドタウンのような存在です。

若い世帯が多く、カフェや雑貨屋などがお洒落で、私もよく雑貨屋めぐりやランチドライブに利用していました。

 

なつぞら」の舞台は十勝ですから、山田君一家が入植したのは芽室町あたりかな。

芽室町(めむろちょう)は、帯広市の近くです。

帯広は豚丼が有名。

藤木直人さんは北海道ロケ中、「豚丼めぐり」をしたそうですよ。

 

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まだまだ先のことですが、大学の卒論は「北海道開拓史」にしようかなと思案中。

ちょうど開拓150周年という節目の時期に史学を勉強しているのだから。

卒業のメドがたったらの話ですが。

卒論は卒業の年に始めるのではなく、単位取得と同時進行すべし・・・というのが、成功の秘訣だそうです。

 

北海道前近代の文化史〈2〉江別,石狩,平取地方編 (1978年) (北方歴史文化叢書)

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