昨日の考古学の授業中にニュースが飛び込んできました。
アゼルバイジャンの首都、バクーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は、6日、世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵古墳」(大山古墳)を含む「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」を世界文化遺産に登録すると決定しました。
来年の2020東京五輪を前に、また海外からの観光客が増えそうで、嬉しいニュースです。
でも。
ところで。
この大きな大山古墳は、本当に仁徳天皇のお墓なのでしょうか?
え?
今さら?
というのも、仁徳天皇の子である履中天皇陵とされる上石津ミサンザイ古墳とこの仁徳天皇陵を比較してみると。
上石津ミサンザイ古墳が出土埴輪から5世紀前半のものであるというのに対し、仁徳天皇陵である大山古墳が出土須恵器などから5世紀前半から中ごろの年代を示していて新旧逆転しているのです。
つまり、親である仁徳天皇のお墓より、子である履中天皇のお墓の方が古いということ。
実際に埋葬されている天皇と指定天皇が違うというのは、よくあるらしい。
仕方ないです。
古墳は発掘調査できないのですよ。
掘り返して調べることが禁止されているのです。
掘り返すどころか、考古学者が足を踏み入れることもできない聖域なのです。
貴重な埋葬品がゴロゴロ転がっているのに・・・
だいたい初代天皇である神武天皇の存在すら怪しいという意見もあるのです。
40代天武天皇までの記録は、41代の持統天皇の時代に『日本書紀』が編纂された時のもの。
初代天皇についての記述はあるものの、2代~9代までの天皇は何の活動をしたのか、果たして存在したのか、さっぱりわからないのです。その欠史八代といわれる天皇の陵がちゃんと存在しているというのがまた謎。
『日本書紀』によると、神武天皇は紀元前711年誕生の紀元前585年没。計算しますと、なんと126歳で亡くなったことになります!長生きですねぇ。(古事記では137歳になってます)怪しい・・・
他の古代天皇も147歳だとか139歳だとか、長寿がゴロゴロいます。怪しい・・・
ただ、これは「倍暦」だという説もありますから、実際にはその半分の年齢だったのではないかとも考えられます。
その存在すら危ぶまれている神武天皇の陵墓もこれまた、1863(文久3)年に大規模な修陵事業が行われ、その際に現在の神武天皇陵の位置に治定されたわけです。
その治定の理由が純粋な根拠からではなく、どうも当時の社会状況を色濃く反映しているようで・・・あぁ、疑わしい。
それでも古墳というのは、古代にロマンを馳せる胸ときめく巨大な産物であり聖なるものであることは間違いがないのです。