暖かな良いお天気の1日でした。
紅葉がきれいです。
本日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。
聖武天皇が神亀元(724年)年2月に即位し、文武→元明→元正→聖武へと嫡系に皇位継承が行われました。
元明天皇と元正天皇が腰かけ的な中継ぎ女帝であったことを考えると聖武天皇の即位は悲願でもありました。
私が考えるに中継ぎ女帝の元明天皇も元正天皇もとても良い天皇だったと思うのですが。
聖武天皇もそれは認めていたらしく「今までの天皇は立派に国を治めていたのに、自分は徳が薄いからか、農作物は不作だし疫病は流行るし、世の中謀反が起こり、不安だらけだ。」と自分の能力の無さを悲しみます。
私の授業のノートです😊
聖武天皇は不幸な出来事や災害が起こることを自らの自世が悪いためと考え、仏教の力を借りて人民のために災害を取り除き、幸福を与えようとします。
その1つの方法が諸国に七重塔を造立し、経典を写経させ国分寺・国分尼寺を建立することでした。
そしてさらには都に大仏を作ろうと考えます。
聖武天皇、私が歴史を勉強する前は、なかなかやり手の政治家だと思っていました。
ちょっと違うようですね。
人間的には悪くないのですが、力がないというか、勘違い男というか・・・。
高さが五丈三尺五寸(約16m)もある大きな大仏を造るというのですが、そのために庶民は高い税と労役に苦しむことになるのです。
途中、大仏に使う金が足りなくなるというピンチに陥りますが、陸奥の国から金が産出され献上されます。
大仏の鍍金作業は天平宝宇6(762年)年前後に終わったと考えられます。
大仏造立事業に八幡神は惜しみなく協力し、これによって朝廷の八幡神への崇敬は深くなり、八幡神の神託は大きな影響力を持つようになります。
八幡神の神託により、大宰府の人事が決定されるほど、八幡神の神託は大きな影響力を持つのです。
大仏を造るにあたって、遠くの国から連れてこられた人の中には、大仏ができあがったものの、帰るための旅費も食べ物もなく、道端で亡くなる人もたくさんいました。
聖武天皇・・・
なんてことしてくれたの・・・
大仏を造るためにたくさんの人の命を犠牲にして、それで世の中は平和になったのかい?
今日の皇居。青空とお堀の水のコントラストが美しいです。
先々週のドラマ「まだ結婚できない男」で、吉田羊さん演じる女弁護士さんが、鎌倉の高徳院にある「鎌倉大仏」(阿弥陀如来像)に恋してましたっけ。
先人たちが苦労して造り上げた大仏、今でも人々の心を捉えてやみません。