昨日のフィギュアスケートグランプリファイナルで、4回転ルッツを見事に決めた羽生結弦選手。
最後は疲れ切って、決めポーズがよろめいてしまい、それがまた観客の心にズンと響いた。
演技後のスケートリンクは、くまのプーさん一色で、リンクが黄色に染まった感じでした。
羽生選手のプーさん好きは有名ですが、いつもに増してすごい数だな・・・と思って見ていたら、昨日12月7日は羽生選手の誕生日だそうですね。
それですごい数のプーさんのぬいぐるみが投げ込まれたわけです。
北海道の義母が入居する施設では、昨日が12月のお誕生会でした。
ご飯もいつもよりお上品な盛り付けです。
義母は12月生まれ。
まさにお誕生会の主役のひとりでした。90歳になりました。
主人と選んで、あたたかそうな洋服をプレゼントしました。
北海道にいた頃、ジムにみんなから「くにちゃん」と呼ばれているお姉さまがいらっしゃいました。
てっきり「邦子」というお名前なのかなと思ったら、「いいえ、私は国の子と書いて国子(クニコ)なの。」とおっしゃる。
私「珍しいですね。邦子が多いですよね。」
国子さん「だって、私の誕生日は昭和16年12月8日。真珠湾攻撃の日だもの。父が『日本が勝つように』との思いをこめて命名したのよ。」
真珠湾攻撃は日本時間で12月8日未明。(ハワイ時間12月7日)
あぁ、その日が誕生日だったんだ。
「開戦の際東條内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下に於ける立憲君主として已むを得ぬ事である。」(『昭和天皇独白録』より)
已むを得ぬこと。
真珠湾攻撃から広島・長崎への原爆投下に至る4年の長きにわたる、日米両国民数百万人もの命を奪い、日本の都市の大半を焦土と化した激烈な戦い。
それが已むを得ぬこと。