母が先月転倒して腰を強打、1日のほとんどを自宅のベッドで横になって過ごしています。
母が腰を強打してから1か月が過ぎました。
目次
母の腰の具合
訪問リハビリと、私のスパルタ介護で、母の腰はずいぶんと良くなり、痛みはまだありますが、ひとりで起き上がれるようにまでなりました。
単独歩行も家の中でなら、手すりに掴まりながらできます。
この分なら、春にはディサービスを再開できるかもしれません。
ディサービスに行っても母は誰かと雑談するわけでもなく、手芸をするわけでもなく、みんなで合唱を楽しむくらいなのですが。
それでもディサービスがあるおかげで、規則正しい生活が身につき、朝昼晩の区別がつくのです。
でも、ディサービスに行かずに、腰も本調子ではない今の母は、昼もウトウト寝てばかりです。
おかげで夜も熟睡していません。
これが母の脳に悪影響を及ぼしていると思われます。(私シロウトの見解です😅)
母の妄想が爆裂している
ここ数日、母のわけのわからない雑談に付きあわされています😓
今日の妄想はとくに酷くて、聞いているこちらも相槌うつのも面倒になってきた💦
私に向かって「アンタは私より2歳年下よね?」とか。母93歳、とすると私は91歳か?
「カクさんがね(たぶんカクさんは母の祖母)」「スエさんがね(たぶん母の叔母)」「ハナさんがね(初めて聞く名前。誰だ???猫さんか?)」とまぁ、カクとかスエとかハナとか、時代劇に出てくるような名前がポンポン出てくる出てくる・・・。
おまけに久しぶりに宮子ちゃんまで出てきた。
宮子ちゃんは母の脳内で生まれた架空の娘です。現実には、宮子ちゃんは母の従妹。
hiro-beans-attack-no1.hatenablog.com
午前中はずっとこんな調子の話ばかりでした。
父が亡くなったこともわからなくなっていました。
父の遺影を見せると「あ、そうだったか。」と納得していました。
母が号泣する
昼頃、母が声をだして泣き出しました。
「私のお父さんもお母さんも亡くなったの。私は孤児なの。」
母が93歳ですからね。そのお父さんもお母さんも明治生まれ。お父さんは早くに亡くなりましたが、お母さんは92歳、昭和の終わりに亡くなりました。
母「私はひとりぼっち。血の繋がった人が誰もいない!うわぁ~~~(泣)」
聞いていたら疲れるわ。
血の繋がった人が誰もいないって、何?私は誰?
孫が勢ぞろいした写真を見せたり、昼ごはんに母の好きな鮪の刺身を出したりしているうちに落ち着きました。
泣くのはやめたものの、母は言います。
「私には誰もいないの。優しくしてね。」
なんのこっちゃ。
そういえば、昨日母の言動に頭にきて大げんかしたっけ(笑)
私もつい強い口調になった。
そのことが母の頭のどっかにひっかかっているか?
母はテレビの影響を受けやすい
少し時間がたってから聞くと、TVで毎日流れてくるコロナウイルス報道の影響もあるようです。
母曰く「コロナウイルスで、まわりのみんながみんないなくなってしまうような気がした」と。
以前、殺人事件が連日報道された時も「おとうさん(私の父)は、どこにいるのかしら。どこかで殺されているんじゃないかしら。」と言ってました。
父はもう何年も前に亡くなっています。
母のためには、テレビはできれば良い映像や音楽などを流したいものです。
番組を選びたいけど、ニュースや情報番組も大事だし。
母のために花を飾ろう
id:lilychacoさんのブログです。
ブログで紹介されている映画の中の「死んでからお花で飾られるよりも、生きているときにお花に囲まれたい」という台詞が、私の心に響きました。
そうだ。
みんな告別式に高いお花を飾るけど、それより今現在、母がお花を眺めて心が明るくなるように心がけたいと思いました。
でも今は、母が「菜っ葉の種を買ってきて植えてちょうだい。夕飯に食べるから。」って言うので、とりあえず豆苗を買ってきて、母の部屋に飾ってます(笑)
今、菜っ葉の種を植えたって、夕飯には間に合わないよw
母の老後はとても幸せ
母が転倒した翌日は土曜日で、私の妹も仕事がお休みでしたので、私と妹ふたりで母を整形外科へ連れていきました。
整形外科の看護師さんが母に言いました。
「娘さんがふたりもついてきてくださって。とてもお幸せですね。」
おかあさん、私もそう思うよ。
あなたの老後はとても幸せだよ。
『92歳のパリジェンヌ』Prime Videoで観てみたいと思います。