『麒麟がくる』第6回、いかがでしたか?
視聴率は13.8%。
先週、先々週より、少~しあがってきました。
当初の19.1%から徐々に下がっていき、このあたりで安定するのでしょうね。
光秀が信長に仕えるようになれば、少し復活組が出るでしょうか。
目次
- 『麒麟がくる』第6回「三好長慶襲撃計画」のあらすじを簡単に
- 三好長慶襲撃計画を知って
- 襲撃企て失敗
- その時細川晴元は
- 明智光秀と細川藤孝の友情
- 応仁の乱
- 細川勝元と細川藤孝の関係は?
- 光秀と駒の焚火シーンは蛇足
『麒麟がくる』第6回「三好長慶襲撃計画」のあらすじを簡単に
第6回のあらすじを200字以内で述べよ。
京で、銃の構造を習う光秀。そんな時に三好
東庵や駒と再会し、療養していた光秀は、美濃で織田と斎藤の戦が始まったと聞き、駒と共に美濃へと戻るのでした。
194文字でした(笑)
三好長慶襲撃計画を知って
三好長慶襲撃計画は、れんが会で決行されるもよう。
れんが会?
煉瓦?
いや、そのれんがじゃなくて。
煉瓦ではなく、「連歌会」です。
事前に計画を知った光秀は三淵家に走ります。
そして光秀、三淵藤英に熱く語ります。
「私が幼き頃、父から教わったのは、将軍は武家の棟梁であらせられるということです。すべての武士の頭であり、すべての武士の鑑であり、すべての武士を束ね、世を平かに治める方であると。今、この世は平かではありませぬ。この京都も家臣同士が争い合う。それを目にしたなら、武士をひとつにまとめ、将軍が争うなと一言お命じになれば、世は平かにはなりませぬ! 三淵殿が将軍のお側にいるのであれば、そう申し上げていただきたい! 私情ではない。武士の一人として、お願い申し上げておるのです!」
このかっこよすぎる力説をただ黙って聞いている向井理氏が、いや、足利義輝がこれまたかっこいい。
一言「あの者の後を追え」と義輝。「彼に加勢せよ。」の気持ちを込めて。
言葉少な。それがまたかっこいい。
襲撃企て失敗
優雅な連歌会に襲撃しようと飛び込んでいく細川晴元の家臣たち。
まぁ、あいかわらず武士も町民もカラフルな衣装で。
京ではサマンサタバサがブームか?
もっとカラフルなのは、連歌会が行われていた屋敷の庭の紅葉。
真っ赤な地面の上で繰り広げられる殺陣。
特に明智光秀と細川藤孝がタッグを組み、暴漢を一撃で仕留める場面は今回のハイライトでしょう。
その時細川晴元は
格子から逃げ延びる長慶と久秀を見て、悔しがる細川晴元。
晴元は、将軍の御前にて鼻を「ち~ん」とかむような下品な武将です。
晴元演じる国広富之氏は、若かりし頃、百恵ちゃんとラブストーリー繰り広げたり、美少年と評判の源義経を演じてらっしゃいました。
最近はこういった役が多いですね。
晴元は、三好元長&長慶親子の天敵で、何かと悪く書かれがちで、私も悪い奴だと思ってますが、実は晴元自身も長慶と同じように実の父を同族の細川高国に死に追いやられ、その後高国を自害させて父の仇を討つという、三好長慶と似たような経歴をもっています。
戦国時代ってそんなものなのね。
阿波の戦国大名、三好長慶。いつか大河ドラマで主人公をやってくださいね。
明智光秀と細川藤孝の友情
細川藤孝は光秀をたいそう気に入った様子です。
荒廃した京の町。
そんな世を藤孝は嘆きます。「明智殿のようなお方があと二人でも、三人でもいて、我らの味方となってくれればと!」
藤孝は「美濃へ帰らず、しばらく京にいらっしゃいませんか。」と光秀を誘います。
でも光秀は藤孝の誘いを断ります。
「そうはいきませぬ。美濃も京と同じです。」
そう、光秀は美濃でやらなければならないことがあるのです。まずは美濃をまとめなければ。
「美濃がひとつになれた折、またお目にかかります。その時は美濃をあげて藤孝殿を支えます。」そう約束します。
あぁ~~~!
この34年後!
光秀が本能寺の変を起こした後、光秀の「味方してほしい」との懇願を藤孝はスルーするのですよ!
それがわかっているだけに、この場面は観ていると辛かった。
応仁の乱
それにしてもなぜ京はこんなに乱れているのでしょうか。
京を焼け野原にした応仁の乱以降、世が殺伐としているのです。
応仁の乱とは、日本史の教科書でラインマーカーをひいた1467年(~1477年)幕府の管領家の家督争いからの、
日野富子が大きく関わっているというのが従来の考え方でしたが、それも最近の研究では変わってきているもよう。
山名宗全の方が悪い奴なのか?細川勝元は正義の味方?争うくらいだからふたりは仲が悪かった?いや、そうでもないみたいよ。
この件についてはいずれ、またいつか。
細川勝元と細川藤孝の関係は?
応仁の乱の主要キャストである細川勝元ですが、藤孝と同じ苗字です。
親戚?
そもそも細川藤孝が属する細川家というのは、清和源氏足利流からきてまして、先祖を辿ると、清和天皇に行き着きます。
そして、その支流に君臨した中に細川勝元の名前もあります。
藤孝は養子なので、ちょっとややこしいし、真偽のほどは定かではありません。
遠い遠い親戚なのです。
でも細川勝元が生まれたのは1430年。藤孝が生まれたのはその100年以上後の1534年。
親戚といっても関わりのない関係です。
そして細川晴元の名前も見えます。
細川晴元は勝元の直系ですね。
このあたりも勉強すると楽しそう。
光秀と駒の焚火シーンは蛇足
あ、ドラマの終盤で見せた光秀と駒の一夜。
あれ、いりませんから!
あんな場面で女性視聴者を取り込もうなんて、女なめすぎですから!
ましてや帰蝶と恋愛感情があるかもなんて設定は遠慮したいです!
・・・と怒っていたのは私だけ?(笑)
SNSでは「キュンキュンするわぁ💛」「これがあるから大河ドラマも楽しい」と盛り上がっていたようで。
あれ?