『麒麟がくる』第13回視聴率は15.7%でした。
自粛ムードの中、視聴率がまたあがってきましたね。
ごめんなさい、今回も自分の世界に陶酔して2000文字を超えてしまいました。
読むの大変だと思います🙇
⤵ここでお帰りになられる方、ポチっとだけお願いします😅
目次
『麒麟がくる』第13回「帰蝶のはかりごと」あらすじ
美濃国の守護大名土岐頼芸は斎藤道三の企てにより美濃を追い出される。織田信長は道三に面会するため、鉄砲を担ぐ兵を何百と引き連れて尾張富田の正徳寺(現在は聖徳寺、寛永年間名古屋市中区に移転後平成5年に天白区に移転)にやってきた!
伊右衛門が綾鷹をぶった斬り
斎藤道三、恐ろしいですね~。
土岐頼芸が可愛がっていた鷹を無残にもすべて殺してしまうのです。
もちろん撮影において本当に殺しているわけではありませんが、この描写は頼芸でなくとも心が痛んだ人は多いのではないでしょうか。
鷹の羽根が舞う中、頼芸は茫然とし、そして慌てて美濃を立ち去るのです。
もっくんことサントリー伊右衛門が、コカ・コーラ綾鷹を切ってしまったのですよ。
動物愛護の目でみると
今月からBSのNHKプレミアムでは『太平記』の再放送をやっています。
『麒麟がくる』と同じく脚本は池端俊策氏なのですが、『太平記』で闘犬の場面がありました。
放送は1991年。
今ほど厳しくはなかったのでしょう、闘犬の場面での土佐犬たちがかわいそうな気がしました。
見ていて気持ちのよいものではなかった。
闘犬は日本では、高知県や秋田県でも行われていた。高知県は土佐闘犬と呼ばれる犬を檻の中に入れて戦わせる。高知県においては現在でも行われているが、秋田県は秋田犬と呼ばれる犬を猟師たちの格好の遊びとして戦わせていた。現在、東京都、神奈川県、富山県、石川県、北海道の5自治体では闘犬取締条例で闘犬は禁止されている(北海道では土佐犬に関してのみ許可制)。
Wikipediaより引用
時代劇で人間同士の戦いは目をそらしたりしないのに、動物は演技ができない分不憫に思えてきます。
美濃を追い出された土岐頼芸は
兄盛頼につづいて、朝倉家を頼った頼芸は、やがて越前を離れて諸国を流浪し、盲目となって京で行き倒れになっているところを、信長に従って入京した美濃三人衆のひとり、稲葉貞通に助けられ、道三亡きあとの美濃に帰って、83歳の生涯を終えたというエピソードが残っていますが、これも真偽のほどはわかりません。
村田雄浩さん、1983年NHK大河『徳川家康』では岩松八弥を演じています。
え?岩松八弥って誰かって?
竹千代くんこと徳川家康のパパ、松平広忠を刺殺したといわれる人物です。真偽のほどはこれまたわかりませんけど。
流れ歩いているその青年は木下藤吉郎
ちらり・・・とでしたが、豊臣秀吉が登場しました。
藤吉郎くんは、たまたま出会ったお駒に『徒然草』を解読してもらうのです。
初心(しょしん)の人、二つの矢を持つことなかれ。後(のち)の矢をたのみて、初めの矢に等閑(なほざり)の心あり。
藤吉郎くんの現在の状況(たぶん16歳)
たぶん藤吉郎くんは、実夫を亡くし、継父とあわなかったので、家を飛び出したところなのでしょう。
武家奉公の道を求めているらしいです。
尾張(愛知県西半部)から三河(愛知県)・遠江(静岡県)と流れ歩いているのです。
藤吉郎くんの言い分
武家奉公なら地元の織田家を頼ればよさそうに思えるけどさ~、末森城の城主として誉れ高かった備後守信秀が病死し、跡取りの三郎信長は「うつけもの」の評判があり、その前途には大きな不安があるんだよね。
隣国三河では、この国の最大勢力であった岡崎城主の松平氏が、古今まれなる名将をうたわれて前途を嘱望されていた7代目清康の急死以後、にわかに衰微し、清康の孫でわずか10歳の竹千代くんが跡を継いでるんだけどぉ、駿府の今川氏の圧迫に耐えかねて、天文18(1549)年以来、その人質となって駿府に仮住居をしているという憐れなありさまさ。
これにひきかえ、駿河の今川氏は、当主義元の統率のもとに、遠江・三河を併せ従え、海道一の弓取りとして全盛を誇っている。こりゃ行くしかないっしょ!
16歳から19歳の藤吉郎くんは
この後の藤吉郎くん(後の豊臣秀吉)についてドラマではどう描かれるのでしょうか。
史実によると。
藤吉郎は、遠江で今川家の松下嘉兵衛に拾われ、武家奉公の道に入ることになります。
よく気がつき働き者の藤吉郎なので、嘉兵衛には可愛がられるのですが、それが他の者の嫉妬をかい、仕方なく藤吉郎は嘉兵衛に感謝しつつ4年間奉公した松下家を去ることになります。
その後はご存じのとおり信長に仕えるわけですね。
おまけ~松下嘉兵衛のその後
心ならずも藤吉郎に暇を出した嘉兵衛は、永禄3(1560)年、ご存じ桶狭間の戦いで主君の今川義元が信長の奇襲に倒れ、今川家が没落すると、徳川家康に仕え、わずかの知行を与えられてほそぼそと暮らします。
嘉兵衛への恩を忘れなかった秀吉(藤吉郎)は、後年、天下を取ってから嘉兵衛を探し出して、大いにその恩を謝します。
大名たちに「嘉兵衛は自分が浪々中の若いころ、たいへん世話になった恩人だから、けっして疎略にしないように。」と申しつけるとともに、これに遠江国久能で3万1千石の知行を与えて大名にとりたてたということです。
美談です。
猿の恩返し🐵
それはまだずっと先の話。
今は佐々木蔵之介さんの笑顔の先で毛づくろいしているお猿さんが、ただただ可愛い。
猿より猫の方が毛づくろいは得意よ?