いよいよ越前パートに突入した『麒麟がくる』
残念ながら放送休止が決定となりました。
でも、『麒麟がくる』はもともとオリンピックの関係で全44話の予定です。
『真田丸』や『おんな城主 直虎』は全50話でした。
つつがなく、令和2年が終わるまでにドラマも最終回を迎えられることを願います。
コロナが1日も早く終息して、年末には本能寺の変を観ながら、熱く戦国時代を語ることができればいいなと思います。
目次
『麒麟がくる』第18回「越前へ」のあらすじ
伊呂波太夫の導きで美濃から越前へと逃亡する明智一族。越前で初めて朝倉義景と対面した光秀は、越前の廃屋でとどまることを決意する。尾張の織田家では、信長が弟信勝を死においやる。
あら、100文字にもならなかった(笑)
越前へと逃げた明智光秀
架空の人物である伊呂波太夫を先導として、架空の人物である駒や架空の人物である菊丸とともに、明智一家は越前へと逃れます。
架空の人物
伊呂波太夫も駒も菊丸も架空の人物です。
最初は違和感ありましたが、伊呂波太夫登場あたりから架空の人物チームが物語にしっくりきているような気がします。
『風と雲と虹と』の鹿島玄明(草刈正雄氏演)だったり、『黄金の日日』の石川五右衛門(根津甚八氏演)であったり、『真田丸』の佐助(藤井隆氏演)であったり、実在はたぶんしているであろうけど、その素性がよくわからないという人物を物語の潤滑油に使うのはよくある話です。
伊呂波太夫や菊丸もそんな役目を担っているのでしょう。
架空の人物が全く登場しない大河ドラマなんて、過去にありましたっけ?
朝倉義景登場
な~んだか、煮ても焼いても食えぬような朝倉義景です(笑)
朝倉義景の正室は細川晴元(国広富之氏演)の娘です。しかし正室は女児を出産した直後に死去しました。
伊呂波太夫が「近衛」「近衛」と連発していますが、伊呂波太夫は近衛とどういった関係なのか気になりますね。
義景は伊呂波太夫から「子供できないんだってね~」とマタハラを浴びせられていました。ネタバレしますと、この継室(ひ文字姫)は後に子供ができないのを理由に離縁されます。
朝倉義景は、織田信長と対立することになりますが、それはまだもう少し先の話。
煕子内助の功
光秀ご一行様は、廃屋のような住居でしばらくを過ごすことになります。
駒が「質屋に行ってきます」というので、光秀は父の形見である数珠を質に出すようにと駒に渡すのです。
しかし、駒に同行した煕子は、大切な数珠を質には出さずに自分の帯を質に出してお金に替えます。
明智光秀の妻煕子には、自分の黒髪を切ってお金に替えたという逸話がありますが、今回の質屋通いはその伏線でしょう。
織田信長、弟信勝を倒す
一方、尾張では。
信勝の家臣である柴田勝家が、信長に「織田の内部に謀反の兆しあり」と密告します。
安藤政信さん演じる柴田勝家
キャストが発表になった時驚きました。
柴田勝家といえば髭もじゃの豪快で男臭いイメージです。
安藤政信さんが演じるとすれば、どちらかといえば浅井長政とか明智光秀ではないでしょうか。
しかし。
髭似合うわ、安藤さん。
素敵だわ、安藤さん。
これはお市の方も惚れるわ、安藤さん。
お市の方は、浅井長政に嫁いだ後、兄である信長に夫を殺され、柴田勝家に嫁ぎます。秀吉に攻められ勝家が城とともに亡くなる時にお市の方もともに自害の道を選ぶのです。それは、お市の方が柴田勝家の人間性に惚れ込んだという説があります。
信長は涙しながら、弟信勝を死へと追いやる
弘治2(1556)年。弟信勝の謀反に対して、信長は敏速に対応し、首謀者林美作守を攻めて殺したので、謀反はあっけなく終わりました。
信長は母の請いをいれて、いったん信勝を許したのです。
しかし、信勝は
翌弘治3(1557)年11月。
急病で命が危ない、家督を譲るから来るようにと伝えて、信勝を清州城におびき出して、そこで切腹させます。
時に信長24歳。
ドラマでは、弟信勝は怪しげなお水を持ってきて、信長に飲ませようとします。
信長でなくてもわかりますよね。
視聴者の頭をよぎった2つの過去の事件。斎藤道三が土岐頼純をお茶で毒殺した時。斎藤高政が仮病をつかって弟たちをおびき寄せ殺害した時。
信勝が持ってきたお水、毒、入ってるよね~。
殺害場面はドラマでは映さなかった。
気がつけば信勝は亡くなっていた。
器量人の時代
以前に書いたように、こうした抗争を経験した武将は、戦国の世に何人もいます。
上杉謙信は殺しはしなかったものの、兄晴景との激しい抗争のすえ、兄をおしのけて支配権を確立しました。
毛利元就は、腹違いの弟元網と争い、元網を殺して毛利家の主となりました。
少し前の封建時代には、しかるべき家に生まれた人物は支配権をもつことができました。
でも、そうした「家筋」を大事にする武士社会の秩序は、将軍の権威の失墜とともに、崩れ去ったのです。
実力のないもの、すなわち「器量」のないものは支配者としての座をもちえないようになったのです。
室町時代後期から織豊政権に続く時代は乱れた時代であったかもしれない。
けれども、支配層のなかでの新旧交替の時代であり、新しい秩序原理が古い秩序原理にかわる時代だったような気がするのです。