その休止中の番組として昨日は『独眼竜政宗』の名場面が放送されました。
そんな政宗率いる伊達藩と北海道は縁があります。
今日はそのお話をさせてください。
私個人の思い入れいっぱいの記事になりますので、興味のない方もたくさんいらっしゃるかと思います。
どうぞ今日はお許しください。
目次
伊達成実
『独眼竜政宗』の主人公伊達政宗は、戦国武将人気投票で必ずランクインする人気者です。
渡辺謙さん演じる伊達政宗は確かに魅力的でしたが、私は政宗の従兄弟である伊達成実が好きでした。
ドラマでは三浦友和さんが演じていらっしゃいました。
政宗の九男(宗実)を養子にしているほどに、政宗からの信頼は厚く、途中いろいろあり出奔した中で上杉景勝や徳川家康から家臣にならないかとスカウトがあったにもかかわらず、伊達家に帰参し、慶長7(1603)年に亘理城に入り、亘理郡のうち23か村、611貫356文(5095石)を拝領しています。
その後政宗没後も長老として重きをなし、対外的役割以外に所領の開発や復興を推し進めます。
成実の代に実施された施策によって、成実没後も新田開発は進み、亘理伊達氏の最終的な表高は2435貫302文(24353石)まで達します。
伊達邦成
初代伊達成実から数えて
時は明治。
戊辰戦争で新政府軍に敗れ、家臣団とともに北海道開拓に活路を求めます。
hiro-beans-attack-no1.hatenablog.com
伊達邦成は新天地を求め、北海道移住の許可と開拓地の割り当てを明治政府へ願い出ました。しかし、明治政府から移住費用や開拓に要する費用の支援は一切なく、伊達家は先祖伝来の宝物や装飾、装身具の類まで売り払って移住費用を捻出しなければなりませんでした。移住は明治3年から14年までの間に9回行われ、総勢約2,700人が移住しました。伊達邦成は、既にアイヌの人々の集落がある有珠地区周辺ではなく、あえて未開拓の原野から開拓を始めました。その際アイヌの人々に対して、常に礼節を重んじること、騙したり彼らの馬を無断で使用したりしないこと、そして住宅にみだりに立ち入ってはいけないという規則をつくり、家臣らも忠実にそれを守りました。そのため、争いは一切なく、アイヌの人々も、親切に天候や土地の状態、山菜などの食べ物を教えたほか、常に開拓を手助けしてくれたのでした。
伊達邦成は明治25年、開拓の功により勲四等瑞宝章を受勲、男爵に叙せられます。
伊達邦直
当時北海道へは東北から多くの開拓団がおくりこまれたのです。
伊達邦成の兄である伊達邦直は、札幌市都心から20~30kmに位置する当別町の基礎を築きました。
邦直もまたその功により、正五位を贈られます。
今なお愛される伊達成実
2018年は伊達成実の生誕450年ということで、能「摺上」(大槻平泉作)が伊達市で上演されています。
札幌市の琴似神社は屯田兵に応募した亘理伊達家中が建立した神社で、武智智雄命(成実)を祭神としています。
また、宮城県の亘理神社においても 武早智雄命として祀られている成実は、亘理においても今なお深く敬愛されています。
すみません。
このシリーズは次回に続きます。