みなさま、私の個人的な嗜好満載のブログにようこそお越しくださいました。
一昨日のNHK『独眼竜政宗』の名場面集から蘇った私の脳内での熱い思いを語ります。
その後編です。
目次
片倉小十郎景綱
伊達政宗の腹心として活躍した片倉小十郎景綱。
『独眼竜政宗』では西郷輝彦さんが演じられて、それは凛々しく、これまた主役の渡辺謙さん以上に私は魅かれましたね。
姉(一説には母)は政宗の乳母であり、景綱は幼少期の政宗の剣術指南も務めたといわれています。
「武の伊達成実」、「智の片倉景綱」と伊達家中では評判だったそうです。
合戦での戦功はもとより、小田原参陣を政宗に決意させるなどそのブレーンとして活躍しました。
また南の守りとして白石城を任されました。
景綱の息子片倉重長
景綱の息子である重綱(のち重長)は父に劣らぬ才識勇武を持つといわれ、大坂の陣に参戦しました。
2016年大河ドラマ『真田丸』の大阪夏の陣を覚えていらっしゃる方はいらっしゃいますか?
大阪の陣において、真田幸村が片倉重長の武者ぶりを見込んで、落城の前に阿梅らを送り届けたというのです。(諸説あり)
真田幸村の二男守信
守信は伊達家の家臣となり、300石の領地を与えられ仙台藩士の家系として家督は存続し、今日まで続いています。
真田幸村の三女阿梅
そして阿梅。(阿梅の母は高梨内記の娘とも大谷吉継の娘ともいわれています)
阿梅は片倉重長の側室になり、正室がなくなると継室となるのです。
戊辰戦争後領地没収
白石片倉家は、代々白石城主として1万8000石の領地を支配してきました。
時は流れ、明治新政府が日本を仕切っていきます。
戊辰戦争で敗れた結果、片倉家の領地を含めた仙南五郡は没収されました。
片倉家北海道へ移住
帰農帰商して土籍を失うことを恐れた片倉家中は北海道への移住開拓を試み、幌別郡(現登別市)白石村(現札幌市白石区)での開拓に従事します。
現在も登別市に片倉町という地名があります。
札幌市白石区の歴史は、戊辰戦争で敗れた仙台藩の白石城主、片倉小十郎の家臣の人々が移住したことに始まります(白石城は現在の宮城県白石市に位置)。明治4年9月、北海道を目指して600余人が咸臨丸(かんりんまる)と庚午丸(こうごまる)に乗り、出発。途中、嵐に見舞われ、咸臨丸が木古内の沖で座礁する事故に遭いながらも、そのうち67人が明治4年11月、最月寒(もつきさっぷ)と呼ばれていた現在の中央付近に移住しました。
移住した彼らは真冬の寒さに耐えながら、現在の国道12号沿い(白石公園付近から白石神社までの間)に短期で住まいを完成させました。開拓使の岩村判官は、この働きぶりに感心し、彼らの郷里の名を取って「白石村」と命名しました。その後、明治5年2月中旬までに、104戸380人が移住しました。
白石村は、現在のJR白石駅と南区定山渓を結ぶ定山渓鉄道が大正7年に開業(昭和44年廃止)、東区苗穂と苫小牧市を結ぶ北海道鉄道(後の国鉄千歳線)が南郷・東札幌地区を通って大正15年に開業(昭和48年廃止)する中で、大きな発展を遂げました。札幌市白石区HPより引用
片倉景光は明治31年開拓の功により男爵に叙されました。
のち片倉景光は宮城県白石町に戻り、現在もご子孫は仙台にいらっしゃるそうです。
こうやって繋がった伊達仙台藩と北海道の関係。
北海道はたくさんの開拓者たちの苦労の末、発展した土地なのです。
『独眼竜政宗』もいいけど『真田丸』をもう一度見たくなりましたね。
ちなみに、『独眼竜政宗』で片倉小十郎景綱を演じた西郷輝彦さんは『葵徳川三代』では真田幸村を演じていらっしゃいました。