11月21日㈯NHKスペシャル「三島由紀夫 50年目の”青春論”」を見ました。
94歳の母も真剣に見ていました。
作家三島由紀夫は今から50年前の11月25日、自衛隊にクーデターを呼びかけ、その後割腹自殺を遂げました。
「お前ら聞けぇ、聞けぇ!それでも武士かぁ!」
東京の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説した後に。
三島由紀夫著『命売ります』は、5年前から突然売れ始め、ついに30万部を突破しました。
不思議なほど現代の日本人に繋がる。
リンク
目次
コンプレックス
身体が弱かった三島は、幼少期から自分の身体にコンプレックスをもっていました。
30歳を過ぎて、筋トレに目覚めます。
そしてもうひとつ、代表作『仮面の告白』でわかるように、自分が周囲から隔絶されているという強烈なコンプレックス。
作家となった三島は、小説を書くことによって隔絶された社会との溝を埋めていくことになります。
自分に自信がもてない、他人との違いが気になる。
『金閣寺』
三島の最高傑作といわれる『金閣寺』
主人公は貧しい村に生まれた吃音の青年。いじめに遭い周囲を拒絶していました。心の支えはこの世で1番美しいと思っていた金閣寺。
しかし金閣寺の現実の姿は違った。
主人公は金閣寺に火をかけます。
私がこの本を読んだのは20代の時でした。
三島の経歴
卒業後大蔵省(現財務省)に入省しますが、作家と官僚の無理な二重生活は続かず、1年足らずで辞めています。
ノーベル賞を逃す
三島はこの頃から過激な言動で社会を驚かしていくことになります。
当時日本は高度経済成長期の真っ只中。
三島は「何のために生きるか」40歳を過ぎて迷っていました。
若者と向きあう
「これから何をしようか」と未来を考える若い人たちと語り合うことも多かった。
当時日本では安保闘争から若者の熱が社会を揺るがしていたのです。
『青年論』では「青年というのはどんな時代でもバカですよ。ただバカではあるけれど、アイマイな状態で考えた志向は後になって必ず役に立つ。」と若い人のことを応援しているような言葉があります。
三島はこの時期、学生と直接議論したくて、いくつもの大学に出向いています。
東大全共闘
昭和44(1969)年、三島は東大全共闘との討論会を行います。
三島と東大全共闘は、対極に位置する存在。右派と左派。
しかし2時間にわたる討論で三島が見せたのは、思想の違いはあれ、真剣に社会に向き合う若者への共感でした。
「最後の言葉の”諸君たちの熱情は信じる”というのが忘れられない。」という当時の東大全共闘のメンバー。
その1年後、三島は45歳でその生涯を閉じる。
11月25日。
三島由紀夫 最後の叫び
昨日の夜の再放送、NHKBSプレミアムのアナザーストーリーズ「三島由紀夫 最後の叫び」も見ちゃったよ。
1970年11月25日のことを知りたい、三島の生き方を知りたいならこちらの番組の方がお勧めです。
映画も観たかったな。
そのまま生きて作品を発表し続けていれば、おそらくノーベル文学賞の受賞者になっていたでしょう。
昭和20(1945)年「日本的非合理の温存のみが、百年後世界文化に貢献するであらう」と記した20歳の平岡公威 こと、のちの三島由紀夫。
彼の予言した百年後の世界まで、あと25年だ。
参考文献
リンク