冒頭「出陣じゃあ!」と叫んだ武田信玄。…と思いきや、一言でドラマから去っていった石橋凌さん。
「ひったてぇ!」と将軍足利義昭を宇治槇島城(番組最後の紀行で紹介していました)から連れ出し、「これからは、我らの世でござる。」と光秀に告げる木下藤吉郎秀吉。
光秀は敬意を表して、深々と頭を下げる。将軍にね。秀吉じゃないよ。
オープニング曲が始まる前に、ドラマが進む進む(;'∀')
ドラマとしてのネタバレではありませんが、史実におけるこの先のネタバレがありますので、ご了承ください。
目次
『麒麟がくる』第37回「信長公と蘭奢待」あらすじ
武田信玄が死に、足利義昭は追放され、浅井・朝倉は戦に負け自害し、いよいよ信長の世になっていく。
武田信玄
死にのぞんで武田信玄は、3年の間、喪を秘すように遺言したといわれ、事実、その葬儀は3年後の天正4(1576)年4月16日に菩提寺の恵林寺において行われました。
『麒麟がくる』の中で、光秀は菊丸の機転によってその死を早い段階で知り、信長に報告しました。
こういった架空の人物の使い方は好きですね。大河ドラマにつきものです。
信長にとって、武田信玄の死は幸運でした。起死回生の機をつかむことになるのです。
義昭追放
幕府の再興を目指した足利義昭。上洛時には退けた六角義賢に対して、信長との離反後は協力を求めたりして、節操がないというか、手あたり次第というか。そんな義昭は実は上昇志向は高い性格なのです。ドラマではそんなふうに描いてませんが。
信長から追放された後は毛利輝元に庇護されたりして、各地を放浪しており、そのせいで「貧乏公方」という可哀想すぎるあだ名で噂されたりします。
そして性懲りもなく、各地の大名らと通じて信長打倒を画策し、上洛の機会を伺います。
羽柴秀吉、柴田勝家、徳川家康らに上洛支援を要請するも実らず、その後1587年(本能寺の変の5年後)に秀吉によって帰京を認められ、京に戻ってきます。
京に戻ってきたあとは秀吉から山城国に1万石の領地を認められ、室町幕府の最期の将軍として高待遇で過ごします。
「あの人は今」みたいな番組があったら、出演依頼くるかもね。
参考文献
朝倉義景
ドラマを観ている私たちはトイレに行く暇もないスピードで、織田信長は浅井・朝倉攻めを実行します。
義昭の没後は、寝返る者も出てきます。
朝倉義景は一乗谷にから大野郡へと退きますが、一族の朝倉景鏡に裏切られ、天正元(1573)年8月20日自刃に追い込まれます。
景鏡は義景の首をもって信長に出仕し、他にも多くの朝倉旧臣が信長に降伏して家臣となり生きのびます。戦国だもの。
浅井長政
朝倉勢の救援を失った浅井長政は、無勢で城を持ちこたえることは困難でした。
8月27日夜中、秀吉が小谷城の京極丸に攻め上り、浅井久政と長政の間を分断する作戦に出ると、まず久政が討たれます。
翌日長政は激しい戦闘の末自刃し、下克上の雄浅井氏も滅ぶわけです。
浅井氏の旧領は、その討滅に功のあった秀吉に与えられます。
秀吉はここにはじめて国持大名となり、居城を琵琶湖岸の長浜に築きます。
銀粉蝶さん演じるおっかさまもますます有頂天になるよね。
参考文献
今井宗久
今井宗久が茶器の目利きをしています。
茶器の目利きは以前は松永久秀に任せていたのに、今やすっかり宗久にとってかわられています。
今井宗久は当代一の目利きですが、「人の値打ちは目に見えません。」と言う。
信長、そして後に秀吉もひんぱんに茶会を催して堺・京などの商人たちと交流を深め、相互依存・癒着関係を強めていきます。
そんな茶会では堺の今井宗久・宗薫父子、津田宗及、千利休らが茶頭をつとめ、わび・閑寂の世界を創出します。
信長も秀吉も多くの道具を集め茶の湯にのめりこんでいきますが、彼ら自身は独自の境地を切り開くには至らず、結局茶の湯の世界をリードしたのは茶頭ら商人でした。
蘭奢待
タイトルにもある蘭奢待って?
何?
全く知らない(;'∀')
Wikipediaさんに教えてもらいました。
蘭奢待(らんじゃたい)は、東大寺正倉院に収蔵されている香木。天下第一の名香と謳われる。
正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅名である。
これまで足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇らが切り取っている。
2006年(平成18年)1月に大阪大学の米田該典(よねだかいすけ。准教授、薬史学)の調査により、合わせて38か所の切り取り跡があることが判明している。
Wikipediaより引用
「蘭奢待」という字の中に「東」「大」「寺」が隠れている雅名。
なるほど!
三淵藤英
信長の行動に悩む光秀に三淵藤英がこの先の光秀の道を示すような言葉を残しました。
光秀「(信長の行動に)時に計りかねることがございます。」
藤英「主とはそうゆうもの。その時にこそどう付き従うか。そこが家臣の器。」
光秀「家臣の器?」
これは本能寺の変への伏線?
藤英「もはや、古い考えかもしれぬが。」
そして、こう結びます。
「坂本城、良き城でござるなあ・・・。」
谷原章介さん、素敵すぎ!なんていいドラマの終わり方なんだ!
来週の予告で細川ガラシャ夫人になるたまがちらりと映りましたね。
たまの姉、光秀の長女は後に間宮祥太朗さん演じる明智左馬之助の正室になりますよ。(諸説あり)
早くても天正6(1578)年以降です。あと5~6年くらい?
いったい左馬之助は何歳になったのだ(;'∀') 1536年生まれ?だとしたら少なくとも30代。そしたら何歳違いの夫婦なのだ?
短いシーンでもいいから左馬之助夫婦の場面をドラマでやってほしいな。
左馬之助が光秀の長女にお勉強を教えてた場面あったけど、あれって伏線かな。