残りあとわずかだというのに、まだここでぐずぐずしていていいのか。
本当に本能寺の変は起こるのか。いや、起こるだろう。
でも山崎の戦いまでやってくれるのか。
もしかしたら明智光秀は天海になって生き延びるという説を採用するのか。
目次
『麒麟がくる』第42回「離れゆく心」あらすじ
光秀は将軍足利義昭に会いに行く。その間に荒木村重は謀反を起こし、籠城する。光秀の娘きしは荒木家から離縁され、信長は家康の妻と長男を殺せという無理難題を押し付ける。信長と光秀の溝は深まり、信長はやるせない怒りを光秀にぶつけるのだった。
荒木村重
天正6(1578)年10月、摂津一国の大名荒木村重が寝返り、本願寺・毛利と結びました。
これは大きな意味があります。
瀬戸内沿岸に強力な反信長同盟が成立したのです。
もともと荒木村重の勢力は大きいものではなく、足利義昭挙兵時に信長に忠節を尽くして、大名に取り立てられたのですから、信長は慌てて光秀・秀吉らを
その理由はあきらかではありません。
『麒麟がくる』では村重が信長についていけないと感じたのでしょうか。
国衆や寺社から過酷な税を取り立てる、将軍義昭への態度が許せない…などなど。
『軍師官兵衛』
荒木村重の寝返りについては2014年大河ドラマ『軍師官兵衛』で時間をかけて詳しく描いています。
『軍師官兵衛』では荒木村重の寝返りに主人公官兵衛がとばっちりを受け、人質になっていた長男松寿丸(後の黒田長政)の命が危うくなったのでした。その命を守るにあたって秀吉の妻おね(後の北政所)が一役かっており、その恩に報いるためにも、関ケ原の合戦では黒田長政が活躍し、東軍勝利の影の立役者になりました。
信長の残虐さ、村重の無責任さ
天正7(1579)年9月2日、村重が有岡城を出て尼崎城に移ると、信長は残された一門・家臣らの人質の殺害を命じます。
その残虐さは獄卒の呵責に等しいと『信長公記』は記しています。
ごくーそつ【獄卒】の解説
①牢獄(ろうごく)で囚人を取り締まる下級役人。獄丁(ごくてい)。
②地獄で死者を責めるという悪鬼。
③義理や人情を解さない人をののしっていう語。
goo辞書より引用
荒木村重本人は、海路毛利領へ逃れます。
彼は生き延びて、後に堺へ移り、茶人として秀吉に仕え、天正14(1586)年52歳の生涯を終えるのです。
重臣、その妻子 122人が尼崎近くで殺され、その他510人余は枯草を摘んだ家の中で取籠められ焼き殺されたというのに、村重本人は生き延びるという、なんだか腑に落ちない結末です。
築山殿と松平信康
信長は家康に、妻築山殿と長男信康の殺害を命じます。
家康と光秀は干し柿をもらった旧知の仲。
家康は光秀に相談します。
日本三大悪女にはノミネートされていないものの、築山殿は良く描かれていない場合が多いのです。
でも私はとても好きなのです。
築山殿が武田と内通していたとか、唐人の減敬と密通していたとか、息子の信康を共犯にしたとか、そういった一次史料は見当たらないのです。
史料を「いつ」「どこで」「だれが」書いたか、の三要素であり「そのとき」「その場で」「その人が」の三要素を充たしたものを「一次史料」と呼び、そうでないものを「二次史料」と呼んでいる。
一次史料の代表的なものには日記、書翰、公文書がある。
国立国会図書館HPより引用
これは、徳川家康が正妻と長男を殺害した(たとえ信長の命であったとしても)理由を正当化するために、江戸時代にでっちあげた話ではないかと私なんぞは思うのですが。
2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』では、決して築山殿を悪くは描かず、最期はとても悲しく号泣いたしました。
hiro-beans-attack-no1.hatenablog.com
どうする家康
2023年大河ドラマ『どうする家康』では、どう描かれるのかな。
そして築山殿は誰が演じるのかな。
私は1983年大河ドラマ『徳川家康』で池上季実子さんが演じられた築山殿が大好きでした。
まさか家康をニノではなく松潤が演じるとは想定外でした😅
今年の『麒麟がくる』のキャスティングも想定外がいっぱいありましたが、すべて最後は素晴らしい演技で役になりきってらした俳優陣の皆さんに拍手を送りたい。
松潤も大丈夫だよね。
どうなる牧の方
ちょっと気になるのが天正7(1579)年に、信長の非情により八上城ではりつけにされたという光秀の母お牧の方。
1996年大河ドラマ『秀吉』では野際陽子さん演じる牧の方の壮絶なはりつけシーンがありました。
これは実は創作との話もあり、一次史料もないのです。
もしかしたら『麒麟がくる』では採用しないのかな。
なんてったってあと残り2回だし。
参考文献
過去の大河ドラマをいろいろと思い出しました。
もっと今までに主人公になったことのない人物を描くと思っていたので。
三好長慶じゃ、やっぱりだめですか?