私はこのブログで『麒麟がくる』について語らせていただいております。
それもすでに1年以上。
残すところは来週の最終回のみとなりました。
最終回を目前にした、1月31日㈰の第43回の放送は、3年間を猛ダッシュ、駆け足で過ぎていきました。
これは、最初から想定内のスケジュールだったのか?
謎の多い明智光秀の前半生を焦点にあてていると、当初から主張されてましたから。
皆が良く知る、本能寺の変直前の数年間は、あまり詳しくやらない予定だったのでしょうか。
私はこのブログではドラマのレビューではなく、自分が気になった部分を深堀りして語らせていただく形をとっています。
今回は、ドラマがすっ飛ばした1579年から1582年までをちょっと勉強してみたいと思います。
目次
『麒麟がくる』第43回「闇に光る樹」あらすじ
信長は、丹波を平定した光秀に「従五位」を授けるといい、また帝の譲位にこだわり、なぜか佐久間信盛を追放する。そんな信長に帰蝶すら不信感を抱き「父斎藤道三であれば毒を盛るだろう」と光秀に告げる。家康をもてなす膳で、饗応役を自らかって出た光秀は、その宴の場で失態し、信長に激しく叱責される。
天正7(1579)年
7月、明智光秀は丹後を平定。
10月、宇喜多直家は毛利氏にそむき信長に降りる。
天正8(1580)年
1月、秀吉、別所長治を攻め、自殺させる。
閏3月、本願寺顕如が信長と和睦する。(5年にわたる籠城に疲れてたとナレで言ってましたね。お疲れ様。)
6月、信長、佐久間信盛父子を追放する。(金子ノブアキさん、よかったよ。さようなら。Netflixドラマ「今際の国のアリス」も面白そうね。)
11月、柴田勝家が加賀一向一揆を鎮圧する。(柴田勝家最近出番少ないのはずっと北陸にいたから?)
この年、春と夏に諸国で疫病が流行る。(どんな疫病なのか、調べたけれどわかりませんでした。)
天正9(1581)年
2月、正親町天皇、信長の馬揃を見物する。(仲良しじゃん!)
8月、信長、高野聖数百人を斬る。
天正10(1582)年
3月、武田勝頼(37)、信長に攻められ甲斐にて自殺。信長、甲斐・信濃の国掟を定める。
参考文献
曲直瀬道三