第3回に小池徹平さん演じる
橋本左内、2018年大河ドラマ『西郷どん』では風間俊介さんが演じられました。風間俊介さんすごく良かったのに、もっと出番を増やしてほしかったです。
今回の『青天を衝け』では、橋本左内の活躍を期待しています。
今日は、私が大好きな藩士、橋本左内について語らせてください。
目次
橋本左内は187年前の今日生まれた
橋本左内は、天保5年3月11日(=1834年4月19日)に越前国常盤町で生まれました。
187年前の今日です。
父は藩医の橋本長綱。当時医師は高い身分ではありませんでした。
とにかく頭がいい
左内は数え年15歳で自身の目標を定めた『啓発録』を記します。
天才なのです。
蘭学を学び、語学も堪能で、西洋の医学書を原書で読みこなしました。
嘉永2(1849)年、16歳で橋本左内は大坂に出て、適塾で蘭方医の緒方洪庵に師事します。
日本は西洋に学ぶほかない。左内はそう考えました。
『外国貿易説』では「貿易を始めることは国家の大なる利益」と論じています。
野心家であった?
帰藩後は藩医になりますが、安政元(1854)年には江戸に遊学し、若き藩士たちと交流します。
その中の一人が西郷隆盛です。
西郷は亡くなる時に左内からの手紙を持っていたといいます。そのくらい左内は西郷から信頼されていたのです。
その後藩医職を解かれ、福井藩主の
こうして、橋本左内は藩の政治、国の政治に大きく関わりをもつようになります。
無念だった最期
安政5(1858)年、大老となった井伊直弼の安政の大獄が始まり、松平春嶽は隠居謹慎を命じられます。
それにより左内も将軍継嗣問題(徳川慶福をおす南紀派と徳川慶喜をおす一橋派の争い)に介入したことを問われ、取り調べを受け、幽閉謹慎生活となるのです。
この将軍継嗣問題というのは、この時代かなりの影響があったようですね。大河ドラマでも『篤姫』を始めとし何度もとりあげられています。
とばっちりとしか言いようのない罪で、安政6(1859)年橋本左内は斬首となりました。
享年26。
本人はさすがに死罪は予想しておらず、最期はその無念さから泣きじゃくりながら亡くなったそうです。
まとめ
昨年、橋本左内を含む越前福井藩士について「幕末維新における越前福井藩から生まれた英傑」と題して大学の日本史のレポートを作成しました。
hiro-beans-attack-no1.hatenablog.com
医師であり政治手法にも優れ、外交を重視した橋本左内が今のコロナ禍の世にいたなら、どんな施策を考えていたのかとふと思うのです。
清廉潔白で無私な性格であり、牢獄でも牢名主に代われるものなら代わってやりたいと思われるほどの人格者であった橋本左内。
大河ドラマの主人公にはもってこいの人物だと思うのですが、26年という短い生涯は、吉田松陰もそうですが、1年かけて大河ドラマで語るには無理があるのです。
要潤さんが演じていると、何かミステリアスな匂いがするのですが、私は松平春嶽も大好きなのです。
世襲身分のない体制を幕末ですでに目指していた橋本左内、徳川家を縮小しながらも存続させようとしていた松平春嶽。
薩長土肥と違った思想をもっていた越前福井藩が明治新政府に関わっていたなら、日本は違った明治時代を作ったでしょうか。