大河ドラマアンコールで昨年4月から放送されていた『太平記』が先日終わりました。
若き日の尊氏から始まり、最終回は観応の擾乱で弟の直義が亡くなり、その6年後尊氏が亡くなったところで終わりました。死ぬ間際、3代将軍足利義満への期待を匂わせます。
弟足利直義が、兄尊氏の手によって毒殺されたのは正平7年2月26日=西暦1352年3月12日。669年前の今日です。
私は最近「今日は何の日」に絡めて歴史を語るのが好きですが、和暦でいったり西暦でいったりしてます。気まぐれですみません😅
太平記とは
足利尊氏とは
建武の新政
室町幕府
観応の擾乱とは
足利尊氏とその弟、足利直義は、幕末から明治にかけての大久保利通と西郷隆盛の関係に似ています。
力を合わせて、室町幕府を作ったものの、その関係は悪化し、最後は相手を死に追いやるのです。
だいたいなぜ尊氏が室町幕府を開いた後に早々と政治を直義にまかせて自分は引きこもっていたのか、よくわかりません。
当時の歴史書『梅松論』には「御口入の儀なし 」と記されています。尊氏は弟の忠義に政務を譲り、口出しすることはなかったというのです。
天皇に逆らったことでビビっていたとか、戦ばかりの世で仲間をたくさん失い嫌になっちゃったとか、田楽(ミュージカル)に夢中だったからとか、いろいろ諸説ありますが、直義に政治を任せていたのに、最終的に直義派の武士を襲ったり脅したりして、自分の味方にして、直義を毒殺します。←諸説あります。
これが
擾乱とは安寧が崩され多くの人が入り乱れて騒ぐことです。敵味方がコロコロ変わったりします。
自分で殺しておきながら、尊氏は直義への罪滅ぼしのために、毎日地蔵菩薩の絵を描いていたといいます。本当は直義はお兄ちゃんのこと大好きでしたからね。
尊氏は気まぐれで気分が安定していない性格でした。気分屋だったのです。「出家したいな~」とずっと思っていたらしいです。
4月からの大河ドラマアンコールはルソン助左衛門が主人公の『黄金の日日』
楽しみです!