暮らしと勉強、猫も介護も~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。片づけと大学通信教育部の勉強と猫と介護と。雑記ブログです。

”衛生”の父、長与専斎コレラとの闘い

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自治体独自の宣言以外、緊急事態宣言は解除されました。

感染対策は引き続きおこなわなければなりません。

アルコール消毒、手洗い、マスク…すっかり習慣になりました。

私たちが日ごろ気をつけている「衛生面」

衛生という言葉は誰が作ったものなのかご存じでしょうか。

以前NHKBSプレミアム『英雄たちの選択』で長与専斎ながよせんさいを取り上げていました。

今日はそのお話です。

 

 

目次

 

医学や蘭学を学んだ長与専斎

長与専斎は16歳の時に、医者だった祖父の勧めで適塾に入門しました。

緒方洪庵薫陶くんとうを受けながら最先端の医学や蘭学を学びました。

www.betty0918.biz

 

欧米視察

明治4(1871)年、岩倉使節団に加わり欧米を視察します。

欧米諸国の医学教育制度を学ぶことが目的でした。

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専斎は諸外国の日本とは違う面に驚きます。

諸外国には国民一般の健康保護を担当する特種な行政組織があることを発見した

『松香私志』(長与専斎自伝)より引用

土地の清潔、品質管理、貧民の救済…長与専斎はカルチャーショックを受けます。

 

衛生の誕生

行政も国民の健康を守るというのは当時の日本にはなかった取り組みでした。

養生という住民自身が自分の健康を管理することしかなかったのです。

日本が近代国家になるには行政が国民の健康を守るという法令を作らなければならないと専斎は考えました。

 

専斎は、せい衛るまもると書いて「衛生」と名付けます。

明治8(1875)年、長与専斎は内務省衛生局を創設されるとその初代局長に就任します。

 

コレラとの闘い 

明治10(1877)年7月、清国(中国)でコレラが流行りだします。

船にのって日本にもコレラが上陸するかもしれない。

当時コレラは日本人が最も恐れた感染症です。

NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公渋沢栄一の最初の妻千代も明治15(1882)年にコレラで亡くなっています。

専斎はコレラ対策の徹底を試みます。

虎列刺コレラ病予防法心得』によると、まずは海港検疫の規則を定め水際対策を試みます。

しかし、思うように事は運びません。幕末に結んだ欧米列強諸国との不平等条約のせいで外国船を取り締まることが難しかったのです。

9月5日、横浜で最初のコレラが発生します。

 

9月6日、長崎で患者が発生。

 

その年には九州で西南戦争が行われていました。

勝利した官軍の兵士たちが鹿児島から神戸へと帰還します。その船の中でコレラ患者が見つかります。神戸では兵士たちは検疫官の静止を振り切って次々に上陸します。

9月30日には大阪・兵庫では感染者が82人。

10月31日には2223人に膨れ上がります。『衛生局年報』明治10年より

 

専斎は各自治体に患者数を報告するように指示しました。統計をとることで流行地域を把握しようとしたのです。

また避病院をいう施設を設け、患者を隔離します。

患者が出た家には「虎列刺伝染病アリ」という張り紙をして注意を促しました。風評被害に遭いそう💦

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ただ、住民たちに理解を得ることは難しく、患者が出た家は人の噂を怖がり、隠蔽しようとします。

町や村では警察を動員して隔離を徹底しようとしましたが、人々は逆に警察署を襲うことすらありました。

わずか3か月でコレラは広がり、結果、この年の感染者は13816人、死者は8027人に及びます。

この後もコレラは日本を襲い続けます。

明治12(1879)年には死者は10万人にも及びました。

 

検疫官の静止を振り切って、上陸した兵士たち。

警察署を襲う住民。

感染症と戦う時、怖い相手はウイルス以上に人間の無理解だということがわかります。

 

人民の側に立つという専斎の方針

長与専斎は国民の衛生意識を高めるため、庶民に理解を得られるように努力します。

日本家屋の換気、食事や運動、衣服の選び方に至るまで議論、研究され、衛生の知識を伝え、自治衛生を目指します。

井戸水の汚染は大きな問題でした。

コレラ菌の原因は汚染された水だということがわかってきます。

専斎は下水道を造り、飲料水の汚染を減らすことを提案し、実現させます。。

その後東京に上水道を作り上げる計画を唱えました。それが全国に広がります。

行政と民間が協力して作り上げた自治衛生は、専斎がコレラとの闘いで生み出したものでした。

 

 

 

長与専斎は「衛生」は国単位で行うものだと考えました。

日本人は清潔好きだと思うのですが、それは大昔からあったものではなく、先人の知識と努力で、日本人の習慣に染み付いたものなのかもしれません。

 

コロナにも必ず勝てる。

そう信じたい。

 

 

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