NHK大河ドラマ『青天を衝け』で阿部正弘を演じていらっしゃるのは大谷亮平さん。
実直で誠実で優柔不断な優しそうな老中を演じてらっしゃいます。
先週の放送で亡くなってしまいました。
目次
阿部正弘という老中の苦悩
阿部正弘は良い人なのですが、積極的な政策を見出せないのです。
1853年、ペリー来航時の老中首座が阿部正弘です。←”安部”じゃなくて、”阿部”ね。小学生の皆さんはここまで覚えなくてもいいですが、中高生は覚えましょうね。
阿部さんは困り果てて「来年返事をするから」と帰ってもらいます。
おまけにロシアも条約締結を要求してきます。1853年、長崎に来航したロシア使節はプゥチャーチンです。
それを聞いて、ペリーも再び日本に来ます。しかも7隻の軍艦で。
慌てふためく幕府を穏便にまとめる形で日米和親条約を締結させます。
日米和親条約
こうして、江戸幕府とアメリカ合衆国は嘉永7年3月3日に日米和親条約を締結したのです。神奈川条約ともいいます。
嘉永7年3月3日は1854年3月31日。
167年前の今日です。
この条例によって、日本は下田と箱館(現在の函館)を開港し、鎖国体制は終焉を迎えました。
ロシアとも日露和親条約を結びます。
開かれた政治
老中トップ阿部正弘は開かれた政治を始めます。
「海防参与」という形で、幕府の顧問格となって幕政に関与していたのが徳川斉昭。『青天を衝け』では竹中直人さんが演じてらっしゃいます。←諸大名の幕政への介入の原因となり、結果的に幕府の権威を弱めた?
人材登用
幕府においても、下級武士からでも人材を登用します。アメリカ帰りのジョン万次郎などもそのひとりです。ジョン万次郎については、いつかブログで詳しく語りたいです。
台場
さらに江戸湾に侵入してきた外国船を撃沈する大砲を置くための人口の島、「台場」を造っていきます。現在フジテレビの本社がある「お台場」は、その台場の1つがあった場所です。
大船建造の解禁と海軍伝習所
武家諸法度で500石以上の船を造ってはいけなかったのを解禁しています。「大船建造の解禁」です。また、近代的な航海術を学ぶ学校、「海軍伝習所」をつくります。船を造る技術と航海術はここから目覚ましく進歩し、海軍の発展、そして日清、日露、太平洋戦争へと進みます。
阿部正弘亡き後
で、阿部正弘は激務の中、老中在任のまま安政4(1857)年急死してしまいます。享年39。
肝臓がんであったとも、過労死であったともいわれています。(暗殺説もあり)
そのあとを受けたのが、独裁政治への復帰を目指す
大老井伊直弼は、天皇の許可がないままに、天皇の意向なんか無視して修好通商条約を結ぶわけです。
貿易はこうやって始まりました。
参考文献
現在『青天を衝け』は、阿部正弘が亡くなり、堀田正睦から井伊直弼へとバトンが渡される、そこらあたりのお話ですね。
ドラマでは、イケメン渋沢栄一の青春記と幕府の様子をかわりばんこにやっているので、脳内の整理整頓がうまくいきません(笑)