新型コロナが流行る以前、ずっと昔から人類は感染症と戦ってきました。
日本人はいかにパンデミックと対峙してきたか。
人々が疫病の中をどう生きてきたか。
今日はそんな江戸時代の疫病対策のお話です。
参考文献
目次
時短営業
今回の新型コロナで観光業や飲食業が大きな痛手を受けました。
江戸時代でも似たような現象がありました。
感染症が流行すると、人は外を出歩かなくなります。
お上からの休業要請はなくとも、お客がいないのですから、商売がたちゆきません。
湯屋(銭湯)が午後4時に閉まる現象が起きました。
客としては湯上がりに夜風に吹かれて体を冷やし、風邪にかかってはたまりません。
感染対策もあって人々が気温が高い昼間に少ししか銭湯に行かなくなり、「時短営業」になっていたのです。
自粛
江戸時代にも「自粛」はありました。
ただ江戸時代と現代の「自粛」は目的が違います。
現代の我々が感染拡大を防ぐために、国民一般の被害を少しでも減らすために自粛を行うのに対して、江戸時代の自粛は「殿様(藩主)にうつさないこと」を最大の目的とするものでした。殿様に対する「遠慮」です。
ちなみに徳川将軍も、周囲が「遠慮=自粛」を尽くしたはずなのに、歴代15人中14人が罹患しています。
かからなかったのは、8歳で亡くなった7代家継だけでした。
定額給付金
滝沢馬琴は、「この折窮民御救いの御沙汰ありて」と記録しています。
銭で1人につき250文だったり、米の現物支給であったり。
医療支援
時は幕末。
大坂、道修街は、江戸時代から薬種問屋が軒を連ねる「薬の町」です。
その薬屋さんたちが協力して、人々に薬を配ったというのです。
大坂の商人たちの底力を感じさせるエピソードです。
ただ、『近来年代記』によると、「いかなる薬飲めども一向しるしなく」とあり、せっかく配った薬も効果はなかったようです。
さらに『近来年代記』では「御上様より法香散という薬出る」とあります。
大坂の東町奉行が薬を施したというものですが、法香散(芳香散)というのは、実はクスノキ科の若枝とショウガの根などです。
当然、コレラにはまったく効きません。
さらに幕府は芥子泥という、からし粉とうどん粉の貼り薬もすすめました。
いや、コレラには絶対効かんだろ!
奉行はお上と民衆の目があるので、何かしようと、慈悲・仁政のつもりで、効かぬ「ショウガ薬」を配ったわけですが、このあたりのエピソード、アベノマスクを思い出してしまいました(笑)
江戸期の日本が、すでに感染症流行時に、公権力が医療品を配布するという「医療福祉」を行う社会だった事実は評価できます。
まとめ
パンデミックの影響は、今も昔も、暮らしのあらゆる面に及びます。
経済活動に大きな影響を与えます。
でも。
歴史上終息しなかったパンデミックはありません。
今少し我慢して、マスクを外して外出できる日がきっときます。
昨日のスポーツジムでの会話。
「うちの91歳の母は○○に住んでるんだけど、ワクチンの案内きたってよ。」
「あら、100歳の母は〇〇に住んでるけど、そっちにもワクチンの案内きたわ。」
あら~、うちの94歳の母のところには、まだワクチンの案内きてないな。
ワクチンの1日も早い接種が望まれます。
しかし100歳も90代もネットができないから予約ができない。
耳が遠くて、電話での予約もできない。
うちの母は耳はいいけど、もう電話をかけることすらできない。