高良健吾さんは、NHK大河ドラマ『青天を衝け』で好演していらっしゃいます。
しかし私は高良健吾さんは『花燃ゆ』での高杉晋作が心に残っています。
私は幕末の志士では高杉晋作が好きです。
目次
高杉晋作、青春時代まで
高杉晋作は長州藩の上級武士の家庭に生まれ、長男として大切に育てられたにもかかわらず、「暴れ牛」とあだ名をつけられるほどのやんちゃな青年でした。
そんな晋作を家庭をもって落ち着かせようという親の考えで、美人と評判の名家の子女「まさ」と結婚します。
師と仰ぐ吉田松陰が処刑された翌年のことでした。
1977年大河ドラマ『花神』では、「まさ」を昨年コロナ肺炎で亡くなった岡江久美子さんが演じていらっしゃいました。とても愛らしく品のある奥方でした。
尊王攘夷運動
文久2(1862)年5月には藩命で、五代友厚らとともに、幕府使節随行員として長崎から中国の上海へ渡航、その後の人生に大きく影響を受けます。
五代友厚、『青天を衝け』では、朝ドラ『あさが来た』と同じくおディーン様が演じていらっしゃいます。
晋作は尊王攘夷運動に関心をもち、外国公使がしばしば武州金澤(横浜市金沢八景)で遊ぶからそこで刺殺しようと同志たちと計画するも、それが土佐藩山内容堂の知るところとなり、長州藩毛利定広に伝わり、無謀であると制止され実行には至りませんでした。
櫻田邸内で謹慎となります。
禁門の変
高杉晋作にはたくさんの仲間がいました。
とくにライバルであり親友の久坂玄瑞とは手を携えて軍備増強と攘夷に突き進んでいきます。
しかし元治元年7月19日(1864年8月20日)、禁門の変で敗北して長州藩は朝敵となり、久坂玄瑞は自害します。また、晋作が慕っていた周布政之助も事態の責任をとって切腹します。
外国への対応をめぐって幕府との対立を深めた長州軍が京都で幕府・諸藩連合軍と激突した禁門の変。
158年前の今日です。
大政奉還へ
高杉晋作は決起し、打倒幕府へと長州を導きます。
徳川家茂の死後、幕府の権威は大きく失墜し、慶応3(1867)年の大政奉還へとつながります。
逝去
しかし高杉晋作は、明治を見ることなく、慶応3年4月14日(1867年5月17日)、肺結核のため死去。享年29歳という若さでした。
伊藤博文は、晋作の死後、下関に建てられた顕彰碑にその勇士を記しています。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、人々は驚き敢えて正視する者なし
それが我らが東行(高杉の号)高杉君である」
『青天を衝け』
『青天を衝け』はパリの万国博覧会の時期ですから、高杉晋作が亡くなる慶応3(1867)年です。
五代友厚や福沢諭吉は出演していますが、高杉晋作の出番はなさそうですね。
坂本龍馬も出ませんでした。
土方歳三は箱館(函館)戦争において、高良健吾さん演じる渋沢成一郎(喜作)と関わってきますから、土方が高良健吾さんを見て「渋沢?」と呟いたのは、伏線なのでしょう。
渋沢栄一は、昭和6年まで生きました。
土方歳三との絡みを自慢げ(?)に語っていたそうです。
晩年の語りは、真実かどうかはともかく、彼の人生が他の歴史上の人物が主人公の大河ドラマより鮮明に想像できるかと思います。
剣道経験のある町田啓太さんの土方歳三さん、素敵でした。