暮らしと勉強、猫も介護も~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。片づけと大学通信教育部の勉強と猫と介護と。雑記ブログです。

捕虜第一号となった海軍士官

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クリスマスシーズンです。

日本では戦後になってからクリスマスが一般化したのかなと思っていましたが🎄朝ドラ『カーネーション』などを観ていると庶民であっても昭和初期には、クリスマスケーキを買ってお祝いする習慣があったようです。

昭和8年、主人公糸子(尾野真千子さん演)は妹たちのためにクリスマスケーキを買って、仕事から帰宅しました。

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しかし太平洋戦争中は、敵国の言葉である英語はいっさい使用禁止となりました。

もちろんクリスマスだって。

現在放送中の朝ドラ『カムカムエヴリバディ』だって、ラジオの英語講座放送が中止となり、戦後ようやく復活し、主人公が英語を学んでいる様子が物語で描かれています。

 

目次

 

真珠湾攻撃直後に捕虜となった青年

昭和16(1941)年12月8日、80年前の今日、大型潜水艦内から出撃する特殊潜航艇「甲標的」の搭乗員として、真珠湾内のアメリカ海軍の艦艇に奇襲攻撃を行った。

徳島県出身で海軍兵学校を前年に卒業した酒巻和男氏もそのメンバーの1人だった。

しかし羅針盤の故障などもあり、珊瑚礁座礁、仲間とはぐれ、酸欠による失神状態で海岸に漂着していたところをアメリカ兵に発見され、対アメリカ戦争での最初の日本人捕虜となった。

 

捕虜収容所

捕虜収容所では、自決を願うも拒否されたが、ハワイの収容所からアメリカ本土の収容所に移された後は、同じく自決を決行しようとする日本軍兵士捕虜に対し、自決を止める様に説得して止めさせている。

日本語通訳としても働き、捕虜としての態度が立派であったため、アメリカ軍関係者も酒巻を賞賛した。

 

捕虜第一号となった青年のその後

終戦後、アメリカから復員。トヨタ自動車工業へ入社。

輸出部次長など勤め昭和44(1969)年に同社のブラジル源氏法人である「トヨタ・ド・ブラジル」の社長に就任する。

平成11(1999)年11月29日、愛知県豊田市で死去。享年81。

 

 

 

日本とアメリカの違い

日本は、英語を使うことを禁止しました。

敵国の言葉を使うべからずという精神論からです。

しかし、アメリカは日系人や捕らえた捕虜を利用して、徹底的に日本語を学びました。

捕虜から情報を聞き出したり、暗号を解読したりするためです。

 

 

私は大学の授業で、酒巻和男氏のことを知りました。

2011年にNHKでドラマ化されています。

酒巻和男氏は戦後に手記を出版したものの積極的には語りませんでした。

遺族も言いつけを守り、取材はほとんど拒んできたそうです。

しかし今年から応じるようになったそうです。

 

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