私は古民家も好きですが、明治~昭和戦前の立派な洋館も好きです。
自分に縁のない高貴な暮らしぶりを垣間見るのが好きなんです。
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徳川家達の旧別邸
逗子に
逗子湾を臨む丘陵地に建つ木造平屋建(建築面積約266㎡)で、大正元(1912)年に横浜の実業家の別邸として建てられたと伝えられ、大正6(1917)年から昭和19(1944)年までは徳川家第16代当主徳川家達が使用しました。
建物の平面はT字形で、西側にある8畳の和室4部屋が一直線に連ねる間取りは、海側の眺めを重視したためと言われています。
相模湾に浮かぶ江の島や丹沢、富士山を一望できます。
逗子市の「郷土資料館」として
この建物は昭和59(1984)年、逗子市制施行30周年を記念して有料施設「郷土資料館」となり、逗子の歴史や民族、ゆかりの文学作品等に関わる資料を展示してきました。
しかし現在は休館中です。
もともと居宅として建てられているため文化財資料等の収蔵展示に適切な構造ではなく、老朽化による雨漏りや害虫の侵入などもあり、施設の充実を図ることが難しいばかりか資料の適切な維持管理にも支障をきたしているからだそうです。
蘆花記念公園
逗子の徳川別邸、徳川宗家が終戦前までお住まいだった歴史ある建物なのですが。
建物は蘆花記念公園にあり、その蘆花記念公園もただただ荒れているばかりで。
なんとか徳川家達旧別邸まで行ってみたいと思ったのですが、虫だらけ蜘蛛の巣だらけで、とても進む勇気はなく。
口コミをみると、その日本家屋も瓦屋根のいたるところブルーシートがまくれ上がり、朽ちるのを待つ廃屋となるべく放置されているとか。
逗子市の緊縮財政を思うと、無理強いはできませんが、なんとか再建してほしいと願います。
徳川家達とは
徳川家達は、文久3(1863)年7月11日に江戸城田安屋敷において、田安家当主徳川慶頼の三男として生まれました。
159年前の今日です。
家達は、徳川家茂が後嗣なく死去した際、家茂の遺言通り天璋院らに宗家相続を望まれたものの、わずか4歳という問題で、叶いませんでした。
その結果一橋家の徳川慶喜が第15代将軍に就任したのです。
家達の功績
家達は、徳川慶喜の隠退謹慎後の慶応4(1868)年に徳川宗家16代当主となります。
廃藩置県後に貴族院議員となり、30年にもわたって第4代から第8代までの貴族院議長を務めました。
徳川慶喜との関係
家達と慶喜の関係は複雑でした。
家達はよく「慶喜は徳川家を滅ぼした人、私は徳川家を建てた人」と自負していたそうです。樋口雄彦『第16代徳川家達その後の徳川家と近代日本』祥伝社より