源頼朝のお父さん義朝には、少なくとも9人もの男子がいたことが知られています。
しかし兄弟のうち、頼朝の死後まで生き残ったのは
昨日のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第29回「ままならぬ玉」では、阿野全成が何やら怪し気な行動をしていてハラハラしましたが、最後は「やっぱり阿野全成はいい人だ!」と安堵しました。
しかし、何やら嫌な予感です(◎_◎;)
来週が心配です。
このブログでは『鎌倉殿の13人』のネタバレではなく、史実としてのネタバレがございます。 読まれる際にはご注意くださいませ。
目次
阿野全成って、どんな人物?
阿野全成、『鎌倉殿の13人』では新納慎也さんが演じていらっしゃいます。
ちょっと艶っぽくて、ちょっとコミカル。
1979年大河ドラマ『草燃える』では伊藤孝雄さんが演じられ、新納さんとはまた違った雰囲気だったと記憶しています。穏やかで、冷静な判断のできる頼りになる弟であったと。
しかし、実際のところはどんな人物だったのでしょう。
『平治物語』によれば、悪禅師と呼ばれるほどの荒くれ者だったといいます。
ドラマとはイメージが違いますね。
生い立ち~頼朝と再会するまで
全成が7歳の平治元(1159)年、平治の乱で父義朝が敗死したため、幼くして醍醐寺にて出家させられます。
治承4(1180)年、以仁王の令旨が出されたことを知ると密かに寺を抜け出し、修行僧に扮して東国に下ります。by『吾妻鏡』治承4年10月1日条
石橋山の戦いで異母兄の頼朝が敗北した後に、下総国鷺沼の宿所で頼朝と対面を果たすことができました。兄弟の中で最初の合流であり、頼朝は泣いてその志を喜んだといいます。
頼朝の二男の乳母に
頼朝の信任を得た全成は、頼朝の妻北条政子の妹と結婚し、頼朝の二男千幡(後の実朝)の乳母夫婦となりました。
非業の最期
頼朝の死後、全成は実朝を擁する舅の北条時政と結び、頼家一派と対立するようになります。
建仁3(1203)年、全成は謀反人として捕縛されるのです。そして6月23日、頼家の命を受けた八田知家によって誅殺されました。享年51。西暦では1203年8月1日。819年前の今日です。
伝承
鎌倉時代初期がとにかくドロドロだったのか、それとも源家が不運だったのか。
悲しい最期を迎える武将のなんと多いことか😢