先日は、同居介護のストレスを愚痴ったブログに、たくさんの優しいコメントをありがとうございます。
大丈夫。
私は今日も元気です。
私の母は、自分の親も、配偶者(私の父)の親も、介護をしたことがありません。
自分の親は妹が、配偶者(私の父)の親は(父の)弟が、同居して介護を担っていたのです。
そして、その妹も弟も令和になってまもなく亡くなり、配偶者(私の父)は10年以上前に亡くなり。
母だけが、毎日元気です(笑)
でも母の記憶は、都合よく入れ替わります。
「私は、おばあさんの介護をしたわ。だから、家をもらったのよ。」
家?
あの明治に建てられた築100年以上のあの家?
母の生家は、明治に建てられましたが、母の妹が最後は独り暮らしをしていて、その妹が施設に入所した時から数年間空き家でした。
しかし、この春に取り壊されました。
私「違うでしょ。ママは誰の介護もしてないでしょ。家なんてもらってないわよ。長く賃貸暮らしで、結婚してずいぶん建ってからローンを組んで小さな家を買ったんじゃないよ。」
母「違う。私は親から家をもらった!」
認知症の母の言うことなど、まともに相手をしないで、適当に相槌を打っておけばいいのですが、その時の私はムキになって正論をぶつけました。
私との攻防戦に、言い返すことができなくなった母は「アはて? アはて? アはてはてはてはて。さては南京玉すだれ~~~。」と踊り出す始末。
南京玉すだれは「アはて」じゃなくて、「アさて、アさて、アさてさてさてさて。」でしょ?
いいなぁ、認知症は。
都合悪くなると、すっとぼければいいんだから。
認知症、悪いことばかりではない。
死への恐怖はない。
良いことばかりが記憶に残る。
悪い記憶は、都合よく自分の中で変換できる。
わがまま言い放題でも、まわりは「認知症だから仕方ないか」と許してくれる。
自分中心にまわりを振り回して、自分の好きなような生活ができる。
~いずれも、「ウチの母の場合は」です。
何より、ありがたいのは、母は決して「早く死にたい」と言わないこと。
母「だって、死にたくないも~~~ん。」だって。
幸せな老後を過ごしてるって証拠だよね。
認知症の高齢者との会話を楽しむ余裕は、私にはない。
たまになら、いいんだけど。
毎日相手してる私は、天使ではない。