暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

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宣教師フランシスコ=ザビエル

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1549年、島津貴久に鹿児島を上陸を許された宣教師はフランシスコ=ザビエルです。

小学校の社会科の時間で習いましたね。

 

目次

 

ザビエルとヤジロウ

実はザビエルは、来日する前から日本について知っていました。

日本の多くの情報は東南アジアで得ています。

ザビエルは日本から東南アジアに渡ったヤジロウという日本人から情報を得ました。

ヤジロウからの情報はランチロットという人が「日本情報」にまとめ、それをザビエルに報告しました。

 

ヤジロウ?聞いた事ありませんけど。

 

ヤジロウって誰?

ヤジロウ、またはヤジロー、アンジロウ…彼がいかなる人生を送り、どこで亡くなったかなどは不明です。

薩摩国あるいは大隅国の出身であり、ザビエルの書簡によれば、彼は若い頃に殺人を犯し、日本に来航していたポルトガル船に乗ってマラッカに逃れたとか。その後ザビエルの通訳者や神概念や聖句などの翻訳者として活躍します。

日本で布教・宣教活動に従事しますが、その後は不明です。

鹿児島県には「ヤジロウ伝説」があり、鹿児島で身を潜めて宣教を続けていたとし、墓もあります。

 

ザビエル日本上陸

 

■フランシスコ=ザビエル■
「以後(15)よく(49)やってくる宣教師」1549年、ザビエル鹿児島に上陸

 

ザビエルは鹿児島に上陸します。

 

そして、平戸を通り、山口を通って京都に行きます。

ところが京都での布教の許可が得られない。

日本のトップに会って布教を一挙に進めようとしたのですが、うまくいかなかった。

だって、その頃将軍足利義輝は、三好とのいざこざで、江口の戦い敗退後に京都から近江に逃げていたんです。

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京都にいる後奈良天皇ごならてんのうには権力がない。

 

ザビエルの山口での活動

そこで、ザビエルは再び山口にもどってきました。

山口というところは、中国地方最大の守護大名戦国大名に成長した大内氏の城下町で、「西の京」という別称があります。

大内氏が京の文化をせっせと山口に持ってきたんです。

その山口にザビエルがやってきました。

そして大内義隆の館を訪ねて、布教の許可をもらいます。

サ(”ザ”ではない)ビエル記念教会(山口) 1991年に焼失する前の画像

私は、ザビエルってずっと長崎を拠点にしていたイメージがあったのですが。

 

日本から中国へ

その後、ザビエルは弟子を残して、豊後の府内から日本を離れて中国に向かいます。

日本全土での布教のためには日本文化に大きな影響を与えている中国での宣教が不可欠と考えたのです。

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しかし上川島じょうせんとうに到着したものの、中国への入境は思うようにいかず、ザビエルは病を発症。

1552年12月3日、上川島でこの世を去ります。470年前の今日です。46歳でした。

 

ザビエルは有名だけど、日本には数年しかいなかったんだね。

 

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日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ=ザビエル。

スペイン生まれの彼が、日本にキリスト教を布教したがった本当の目的は何だったのかな。

その数十年後、徳川家康は、スペインポルトガルの思惑を懸念し、三浦按針の助言からキリシタンの排除へと進みます。

 

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