「どうする家康」2月5日の放送「瀬名奪還作戦」で山田孝之さん演じる服部半蔵が出てきました。
服部半蔵といえば、伊賀国花垣村余野(現在伊賀市)の千賀地谷に居住し周辺の地を治めた伊賀忍者の出。
どうして伊賀は忍者の里になったのでしょう。
3年前、2020年2月に放送されたブラタモリで伊賀の忍者の里を散策していましたよ。
目次
伊賀の忍者、もとは農民だった?
伊賀市川東地区。
この地域、家を取り囲む土塁が大変多いのです。
今から500年ほど前に作られました。
土塁って何?
土塁が敵の侵入を防ぐものであるならば、伊賀の土塁はなぜ造られたのでしょうか。
忍者のルーツは武装した農民。かなりご近所同志仲が悪かったらしく、農民が地域と地域の争いの中で身を守るために作られたのです。
忍者のルーツにまさかの地層?
なぜ農民たちは争うことになったのでしょうか。
それは川東地区だけではなく、伊賀全体の独特の複雑な地形にありました。
四方を山に囲まれた伊賀。
伊賀の服部川には巻貝の化石が出ます。今ではすでに絶滅しているイガタニシというタニシの仲間の貝がその昔生息していたのです。
そこは昔(360万年前?)浅い湖、つまり琵琶湖の元である湖があったと考えられています。
琵琶湖はその後移動したことになります。
水が高いところから伊賀にあった湖に流れ込み、その流れ込んだ水のせいで湖が埋まると思いきや、それが断層ができたために水が移動し湖が移動し、現在の琵琶湖の場所へと引っ越しをしたわけです。
伊賀には広い平地が広がっているのですが、川が氾濫するため、人が生活できる場所はごくわずか。
その地を奪い合うために争いが起こったのです。
その争いの中で農民たちは強くなっていきました。
天正伊賀の乱
その忍者が全国的に有名になったのは天正伊賀の乱でした。
天下統一を目指す織田信長が2度にわたって伊賀を侵略した戦いです。
それまで互いに争っていた伊賀の忍者たちは一致団結して、織田軍から自分たちの地を守ろうとしたのです。
天正伊賀の乱は、第1次と2次がありますが、第1次が天正6(1578)年から天正7(1579)年。第2次が天正9(1581)年です。
「どうする家康」の服部半蔵
現在放送中の「どうする家康」は、永禄3(1560)年の桶狭間の戦いが終わって岡崎でもたもたしているところです。
伊賀忍者が活躍するまでにはもう少しかかりそうです。
そんな中、第5回に瀬名奪還のために登場してきた服部半蔵。
山田孝之さんの合図で伊賀のあちこちに散らばっている一味が集まる場面は、BGMの効果もありまるで上質な映画のワンシーンのようでした。
一味が次から次へと倒れていく姿は悲しかったけど、服部半蔵は第6回「続・瀬名奪還作戦」できっと活躍してくれる!
もしも3代目服部半蔵正就が登場することがあるなら、新田真剣佑さんか眞栄田豪敦さんに演じてほしい。
忍者、伊賀と甲賀について、ドラマ「忍者に結婚は難しい」でわかりやすく説明していて、理解できました。
まさにタイムリーでした。
大河ドラマを意識してのドラマ企画でしたか?
さぁ、第6回「続・瀬名奪還作戦」を期待して視聴しよう。