暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

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映画『海難1890』から知るエルトゥールル号遭難事件

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内野聖陽さん主演の映画『海難1890』をAmazonプライムで視聴しました。

2015年の作品です。

その年は、日本・トルコ友好125年の年でした。

 

 
映画は、実際にあったエルトゥールル号遭難事件の物語です。

1890(明治23)年来日したトルコ使節オスマン=パシァの乗艦エルトゥールル号が、帰途、紀伊半島沖で暴風雨のため遭難し、オスマン=パシァ以下580余名が死亡した。

このとき地元の日本漁民が嵐のなかで救助活動に全力をあげ、69名の生存者を手厚くもてなした。

日本政府も軍艦をトルコに派遣して、生存者の送還にあたった。

こうした日本側の行動がトルコの良好な対日感情につながったという。

「もういちど読む山川日本近代史」より引用 

 

 
この先、映画のネタバレあります。
 

 

目次

エルトゥールル号遭難事件

映画の舞台は1889~1890年。
物語の始まりは、1889年7月14日に、エルトゥールル号がトルコイスタンブールを出航したところから始まります。
135年前の今日です。
 
エルトゥールル号は艦齢26年の老朽艦だったうえ、補給品の不足や乗員の経験不足などを理由に、航海自体を海軍内部で反対意見がありました。
 
11か月かけてようやく日本横浜港に入港し、1890年6月13日にアブデュルハミト2世からの皇帝親書を明治天皇に奉呈します。
1890年9月15日に横浜を出航するも、季節は台風の時期。
日本側がその危険を勧告するも、エルトゥールル号コレラ禍が発生したこともあり、その制止を振り切って帰路につくのです。
 
9月16日夜、台風にあおられたエルトゥールル号紀伊大島の樫野埼に連なる岩礁に衝突し沈没するのです。
乗員600名以上が海へ投げ出され、この事故を知った大島村(現在の串本町)の人たちが懸命に、生存者の探索と負傷者の救済を行いました。
 
この事件からトルコの親日感情は今日まで続いています。
 

イラン・イラク戦争中における邦人救出事件

映画ではこの後日談があります。
エルトゥールル号遭難事件から95年。
イラン・イラク戦争中の1985年3月。
イラクが「48時間後、民間機を含む航空機を無差別に攻撃する」と宣言したのです。
このとき、テヘランには、200名以上の日本人が取り残されていました。
イランの隣国トルコのオザル首相は即座に英断を下し、テヘランの日本人を救出するためにトルコ航空機の派遣を決定します。
このことはエルトゥールル号遭難事件と結びつけられて「トルコは海の恩を空で返した」と言われることになりました。
映画では大使館員が奔走したことになっていますが、史実では伊藤忠商事イスタンブール支店長が首相に懇請したそうです。支店長とトルコの首相2人は友人関係にあったとか。
 

映画の感想

映画では多少史実と違う演出があったものの、エルトゥールル号遭難事件とその95年後の邦人救出にトルコが動いてくれた史実を結び付けたのがとても心地よかったです。
明治時代の看護師ハルとその95年後の日本語教師忽那汐里さんが2役、そしてエルトゥールル号乗組員のムスタファと95年後のトルコ大使館員をケナン・エジェさんが2役こなされました。
この粋なキャスティングが素晴らしい。
「僕たちは初めて会った気がしない」という台詞、脚本の小松江里子さんに脱帽です。
 
映画の感想ではないけど、イランに取り残された日本人を救出しなかった1985年当時の日本政府はひどいと思う。
 
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私は、親日であり愛猫家も多いトルコという国が好きです。