NHKのプロジェクトX、2005年5月放送のアンコール『命の離島へ 女たちの戦い』をNHKオンデマンドで視聴しました。
戦後まもない沖縄。
大小たくさんの島々。
爆撃により水道施設が壊滅、風呂にも炊事にも川の水を使い、皮膚病や結核にマラリアと、感染症に悩まされることになります。
沖縄に180人いた医師は戦争で三分の二が亡くなり、医師が極度に不足していました。
そんな中100人以上の女性たちが集まりました。
彼女たちが目指したのは島の医療に携わる公衆衛生看護婦。現在の保健師にあたります。
琉球政府から派遣された金城妙子さんは保健婦の養成を担います。
50を超える離島で感染症が広がっている現状を打破するために、保健婦を島に駐在させることを目指したのです。
昭和25年に公衆衛生看護婦の養成所ができました。
金城さんは「誠実」を主張して、生徒たちに教えました。
プロジェクトXって「精神論」が好きだ。感染症対策に1番大事なのは「
そこで学んだ1人が与那覇しづさんです。
学校で学び始めた時は、30歳を過ぎていました。3人の子供をひとりで育てていました。
与那覇しづさんの末の男の子は1歳の時にポリオに罹りました。そのため足が麻痺して不自由な生活を余儀なくされていました。
保健婦として働きだした当初、結核を近所に知られたくないからと、患者さんの家族は与那覇しづさんを家の中に入れようとはしなかった。
与那国島において、結核の早期発見が可能なX線撮影装置設備のために行動します。
一方で「結核は遺伝病ではなく伝染病である」という住民の認識改善に努め、患者発見のための家庭訪問を続けます。
近所の人に見つからないように、日が暮れてから検診道具を隠して訪問しました。
また、息子がポリオに罹ったことから、ポリオの撲滅のための予防接種実現にも尽力します。
その息子さん波平宜靖氏は琉球大学卒業後にアメリカの大学に進学、アメリカで内科医、内視鏡専門医として松葉杖をつきながら活躍していらっしゃいます。
与那覇しづさんは長く活躍された後、2010年神奈川県相模原市内の病院で亡くなります。87歳。癌の早期発見にも取り組んでいらしたそうですが、盲腸癌だったそうです。
また、公衆衛生看護婦の養成に尽力した金城妙子さんは、2016年沖縄県の老人ホームで老衰のため亡くなりました。100歳。
若い頃は不眠不休で働いていたであろう彼女たちですが、沖縄の人は長生きだ。
NHK『プロジェクトX』アンコール、「男たちは頑張った」「女たちは考えた」とどうもジェンダー問題に触れるようなナレーションが多い。
頑張ることに、男も女も関係ないのに。