国木田独歩は明治時代の小説家であり、詩人ですが、ジャーナリストでもあります。
日清戦争の際には従軍記者として(本名国木田哲夫の名で)「国民新聞」に連載した「愛弟通信」が好評を博します。
代表作は『源叔父』『武蔵野』『欺かざるの記』など。自然主義の先駆けとして知られます。
また編集者としては『婦人画報』(1905年創刊)を創刊・編集をしています。『家庭画報』とごっちゃになる(^^;
目次
生い立ち
国木田独歩は1871年8月30日に千葉県で生まれます。153年前の今日です。
父国木田専八は旧龍野藩(現兵庫県たつの市)の藩士。榎本武揚ひきいる旧幕府軍討伐後に千葉県銚子沖で船が難破し、吉野家という旅館に療養していましたが、そこで奉公していた「まん」という女性と知り合い、独歩が生まれたのです。
父親の転勤に伴い山口県に移り住み、その後県内を転々としながら少年時代を過ごします。参照:ちがさきナビ
茅ヶ崎の煌き(国木田独歩)|茅ヶ崎観光情報サイト「ちがさきナビ」茅ヶ崎市観光協会
徳富蘇峰と国木田独歩
徳富蘇峰と親交が深く、彼が設立した民友社に入り、また蘇峰と同じくクリスチャンの洗礼を受けています。
独歩を矢野龍渓に紹介して、大分県佐伯の学校教師にしたのも蘇峰です。「国民新聞」軍事通信員として千代田艦に便乗せをしたのも蘇峰です。←と、蘇峰自身が自慢している。
独歩は蘇峰の弟蘆花とも交流があり、彼らが親しんだ神奈川県逗子市にはゆかりの地がいくつかあります。
結婚と離婚
大恋愛
独歩が佐々城信子と出会ったのは、明治28(1895)年に催された、日清戦争従軍記者の招待晩餐会でした。
独歩は佐々城信子と熱烈な恋に落ちるのですが、信子の両親から猛烈な反対を受けます。
独歩は信子との生活を夢見て北海道に渡り石狩川の支流である空知川の森林地帯に土地の購入計画をします。
『空知川の岸辺』はこのことを綴った短編です。
結婚
明治28(1895)年11月6日付けで、哲夫(独歩の本名)信子の連名で徳富蘇峰宛に送った手紙には「親を泣かせ友を怒らし終生の事一朝にして空しく両個の人間生きて甲斐なき事と」「佐々城氏と御相談之上宜しきに御取計らひの程奉願上候」とあります。
泣かせてしまった親へ、なんとか許しを請いたいと蘇峰に頼んでいるのですね。
独歩と信子は徳富蘇峰の媒酌で結婚し、逗子で新婚生活を送ります。
離婚
しかし、余りの貧乏なるがゆえに、やがて信子が疾走し、結婚生活はわずか半年であえなく破綻し終了しました。
このエピソードは有島武郎の『或る女』のモデルとして小説になっています。
一方信子側からの視点では、信子の親戚の相馬黒光が手記「国木田独歩と信子」を書いており、独歩が理想主義的である反面、かなり独善的で男尊女卑的な人物であったと記されています。
茅ヶ崎にて
国木田独歩は、結核により茅ヶ崎の南湖院にて、満36歳の生涯を終えます。
絶筆は『二老人』
独歩の一生を一文字で表すなら「窮」であると田山花袋が弔辞で述べています。
明治時代の文豪が異能戦士として登場するアニメ『文豪ストレイドッグス』を見ているのですよ。
登場人物は国木田独歩以外に、中島敦(主人公)とか太宰治とか泉鏡花とか…
独歩の元妻の佐々城信子まで出てくる(笑)
いや、実在した文豪から名前をとってるだけで、本人が登場してるわけではないのですけどね。
ただキャラクターの性格などは史実からヒントを得たりしてます。
一杯の茶漬け…梅干しに刻み海苔それに夕げの残りの鶏肉。そいつを熱い白湯に浮かべ塩昆布と一緒にかき込む。旨かったなぁ、孤児院の台所で一目を忍んで食った茶漬けは。
そんな中島敦のつぶやきから始まる『文豪ストレイドッグス』
舞台は横浜、異能力集団の活躍です。