明治5(1872)年11月12日に「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」と、洋式の文官大礼服が制定されました。
152年前の今日です。
国家の官僚が従来の
世界に対して日本の礼服は、和服から洋服へと変更したことを告げた日となります。
昭和4(1929)年に現在の東京都洋服商工協同組合、昭和47(1972)年に全日本洋服共同組合連合会が、それぞれ11月12日を「洋服記念日」と制定しました。
目次
朝ドラ『カーネーション』の一場面
現在アンコール放送中のNHK朝ドラ『カーネーション』の第6話冒頭で、糸子のお父ちゃんと木岡のおっちゃんが大正14(1925)年の新聞を読んでいました。
「和服に比べて女性の洋服は活動にも衛生にもしごく適当で、また経済であることは明らかだ。国際生活に進みつつある日本が世界的服装である洋装までいくことは当然である。」と。
ふたりはこの記事に憤慨しています。えぇ、おとうちゃんは呉服屋さんで木岡のおっちゃんは下駄屋ですから。
日本人が洋装になることに大反対ですよね。
結局その数年後、おとうちゃんの呉服屋は洋裁店となり、木岡のおっちゃんも靴の取り扱いを始めるのですが(笑)
横浜が先か、神戸が先か
横浜には「日本洋裁業発祥顕彰碑」が建てられています。
この地は文久3(1863)年にイギリス人ミセス・ピアソンが横浜の居留地にドレスメーカーを開店したところです。
西洋の女性たちは自家縫製のため、日本の足袋や和服の仕立て職人を雇用し、女性の洋服を仕立てました。
これに対して神戸には「日本近代洋服業発祥の地」という石碑があります。
明治2(1869)年にイギリス人のカペルが神戸の外国人居留地で洋服店を開業し、これを日本の洋服商の始まりと見ているのでしょう。
そしてカペルに師事した柴田音吉を日本で最初の仕立て屋と位置づけています。
現存する洋服店としては柴田洋服店が日本最古かもしれませんが、柴田音吉洋服店の開店は明治16(1883)年です。
それよりも10年前には東京の銀座や日本橋界隈に洋服店が登場しており、日本最初の仕立て屋は、はて?
日本人最初の洋服仕立て屋は?
安政元(1854)年に函館(当時は箱館)と長崎、同6(1859)年に横浜が開港しています。
神戸の開港は慶応3(1867)年12月。
日本に滞在する外国人の生活必需品である洋服を提供するために、横浜や神戸で洋服を仕立てる職が求められたのでしょう。
長崎には慶応3(1867)年4月の記録で「洋服仕立方出来」とあります。外国人なのか日本人なのか、長崎にも洋服を仕立てられる人物がいたのです。
日本人はいつから洋服を着たのか
神戸の開港前の慶応3(1867)年5月頃に、三田屋忠三郎が澤太郎左衛門を訪れ、将軍徳川慶喜の洋服を仕立てることを伝えたという記録があります。
三田屋忠三郎は横浜で外国人から洋服の仕立て技術を伝習していたといいます。
澤鑑之丞(澤太郎左衛門の息子)「海軍服装の変遷」による
映画やテレビドラマでは、明治に元号が変わるとすぐに和服から洋服姿へと変わるものがありますが、視聴者に時代が変わったことを伝える演出でしょうかね。
明治政府で洋服・散髪・脱刀が許可されるのは、明治4(1871)年8月9日から洋服・散髪・脱刀姿で宮中や太政官に行くことが可能になってからです。
それ以前に洋服を着ていたのは、土佐高知藩の漁民中浜万次郎でしょうか。
そうです、有名なジョン万次郎です。
ジョン万次郎は天保12(1841)年に鯵鯖漁の際に遭難し、アメリカの捕鯨船によって救助され、その後ハワイを経てアメリカで暮らすのです。
嘉永4(1851)年に日本へ帰国した際、万次郎の所持品として「
この2年後にペリーが来航し、翌嘉永7(1854)年3月3日に幕府はアメリカと日米和親条約を締結するのです。
参考文献⤵