暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

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11代将軍徳川家斉の息女溶姫

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文京区本郷の東京大学には「赤門」と呼ばれる門があります。

東京大学そのものを「赤門」と俗称するほど大学のシンボルになっています。

しかし、この赤門はもともと大学のために建てられたわけではありません。

棟瓦に葵紋が打たれています。

 

赤門ができたのは文政10(1827)年、徳川幕府11代将軍家斉の息女溶姫の加賀前田藩の輿入れの時です。

東大の本郷キャンパスは、江戸時代に加賀藩江戸藩邸だったのです。

 

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江戸時代、将軍の息女が大名に嫁ぐ際、朱塗りの門を構える決まりがありました。

前田家は、加賀百万石の名で知られるとおり、大名の中でも群を抜く石高を持ち、将軍の娘を正室に迎えるのは溶姫で3度目でした。

溶姫は、将軍家斉の34番目の子です。

家斉は実に57人の子をもうけています。

姫君だけでも数えても溶姫は21番目で、姉や妹も鍋島家など他の大名へ輿入れしていますから、この時期赤門は前田家だけではなく方々に作られました。

 

溶姫は前田家13代斉泰なりやすとの婚約が整い、文政10(1827)年11月27日、15歳で輿入れします。

197年前の今日です。

前田家では赤門のみならず、姫君のための御殿を新築して婚礼を迎えました。

 

参考文献⤵

 
結婚後、溶姫自身は加賀藩に溶け込もうと努力しましたが、大奥からつけられた溶姫付きの女中たちは尊大で、加賀藩の女中や藩士を馬鹿にすること甚だしかったといいます。
夫である斉泰は堅実な性格でしたが、溶姫自身が夫を軽んじていたという話も残っています。
 
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溶姫は内閣総理大臣近衛文麿の外曾祖母でもあります。

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