母が亡くなって1年ちょっと。
先日、介護に関する書類を処分しました。
その中に妹とヘルパーさんの連絡帳がありました。
独り暮らしをしていた母が転倒して、動けなくなったのが2014年12月。
フルタイムで働いていた妹は仕事をしばらく休職し、母の家に泊まり込み、その後母は徐々に歩けるようになり、妹は仕事復帰しました。
昼はヘルパーさんに来てもらい、妹は夜だけ母のマンションに泊まるという生活を2017年7月まで続けました。
2017年7月からは、北海道から引っ越してきた私が介護を担います。
ヘルパーさんにお世話になった2年半、妹とヘルパーさん(日によって人が変わる)との連絡帳が6冊ありました。
2015年1月8日から始まり、2017年7月12日で終わっています。
6冊とも汚いノートなのは、昭和時代に買ったノートをご丁寧に母が捨てずにとっておいたので、それを使っているからです。
内容はいずれも、買い物の中身の説明であったり、母との会話であったり、母のお昼ご飯のメニューであったり…などの日常生活の報告です。
昼はヘルパーさんと数時間を過ごし、夜は妹が来る。
この生活を母はかなり気に入っていたようで、私が同居するにあたって「私はこの生活のままがいい!」と怒っていました。
妹は自宅と母のマンションの往復で生活しており、義弟(妹の旦那様)にもかなり負担をかけていました。当時はまだ高校生だった甥っ子(妹の三男)にも不自由な思いをさせたと思います。母はそんな妹夫婦の苦労はおかまいなし。
ヘルパーさんは大変なお仕事で、物がなくなれば認知症シニアは真っ先にヘルパーさんを疑うし、母のようなわがまま三昧の利用者さんもいるわけです。
報酬は決して高くないと聞きます。交通費は出ているのか?
労働条件の悪化はよく聞きます。
キャンセル・移動時間・待機時間など、無給の労働もあるそう。
裁判を起こしたヘルパーさんのニュースが記憶に残っている方も多いのでは。
この先まだまだ需要が増えると思われるヘルパーさんのお仕事。
「若者の貧困」問題と重ね合わせて、どうか改善されるように切に願います。
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連絡帳に使っていたノートは、私や妹が中学高校の頃に買ってたもの。
「まことちゃん」懐かしいな。
楳図かずおさん、先月亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
私は小学生の頃に近所の友人宅(床屋さんだった)で読んでいた「おろち」が印象的で、いくつか内容も覚えています。