私は面白かったです。
綾瀬はるかさんのナレーションがいい。
同じく森下佳子さん脚本の『おんな城主 直虎』のナレーションは竜宮小僧(中村梅雀氏演)でした。今回の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では九郎助稲荷がナレーションをしている設定です。
初回見た限りでは、大河ドラマというよりNHKBS時代劇っぽいな…とは思いますが。
主人公
私はこの先のドラマのネタバレは存じ上げませんが、当記事には史実としてのネタバレがあります。
重三郎が生まれ育った吉原
275年前の今日です。
7歳の時に親と別れ「蔦屋」を経営する喜多川氏の養子となります。
現在の東京都台東区。江戸時代ここには吉原と呼ばれる幕府公認の遊郭がありました。
「岡場所」は幕府非公認の遊郭です。
吉原遊郭の敷地は2万坪。およそ1万人の人々が居住し、その半分が遊女でした。
吉原は大名や名士たちが集う江戸時代の社交の場でもありました。
遊女たちは客をもてなすために、読み書きや楽器、茶の湯や和歌などを覚え、高い教養を身に着けました。
吉原には粋な文化が花咲くことになりました。
遊女たちの多くは、親の借金の肩代わりで働いていました。
年季が明ける前に命を落とす者も多くいました。
重三郎はそんな特殊な街で生まれ、育ったのです。
べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~第1回で重三郎が遊女たちに貸本の商いする様子が描かれて、「遊女は読み書きできるのだろうか」と疑問に思った方がいるかもしれませんが、そういった事情だったのですね。
吉原繁栄のためのビジネス
貸本屋を営んでいた重三郎は、吉原を繁盛させて遊女たちに豊かな暮らしをしてもらおうと、「出版」というで方法で吉原のガイドブックを作ります。
「吉原細見」です。
さらに重三郎は、遊女たちの紹介本「一目千本」を出版、遊女たちひとりひとりを花にたとえて、花のイラストで彼女たちの魅力を上品に伝えます。
それが評判となります。
ビジネスの成功と苦難
天明3(1783)年、重三郎は日本橋に「耕書堂」を開店します。
吉原の貸本屋から一流どころと肩を並べる版元に成長したのです。
重三郎は狂歌仲間の力を借りて、現代の漫画のルーツともいえる「黄表紙」に力を入れますが、そんな時に天明の大飢饉が起こります。
この危機から脱出するために幕府老中に就任したのが、松平定信。
「寛政の改革」が始まり、経済の建て直しを計ります。
質素倹約を推奨し、贅沢を禁止します。農民を江戸から追い出すのが目的でした。
武士たちには文武の奨励をします。支配階級である武士は常に武力を磨かなくてはいけないとしたのですが、武士たちは困惑します。
蔦屋重三郎はそんな時代に黄表紙を売りまくりますが、幕府は寛政2(1790)年「出版統制令」を出します。
翌年、重三郎は摘発されます。一説によると資産の半分を没収されたとか。
幕府の業界への見せしめだったのかもしれません。
浮世絵を出版
重三郎は規制の対象に入らない「浮世絵」に目をつけます。
絵師が絵を描き、それを彫師が版木に掘る、それを刷師が刷る。
絵師である
歌麿の「美人大首絵」が大ヒットします。
それまでの八頭身スレンダーの美人ではなく、女性のアップです。
遊郭の美人だけではなく、茶屋の娘などもモデルにしました。茶屋にはファンが押し寄せます。気楽に会いに行けるアイドルのような感じです。
その後歌麿はフリーになりますが、重三郎はそれを見守ることになります。
歌麿と重三郎は終生にわたるまで無二の友でした。
写楽の「役者絵」を仕掛けるものの…
松平定信辞任後、規制はやわらぎます。
決して技術的には優れているとはいえない写楽の絵の魅力を見出し、寛政6(1794)年5月に写楽の絵をイッキに28枚出版しました。重三郎45歳。
しかし、写楽の絵は受け入れられませんでした。
写楽の役者絵はその100年後、20世紀の初頭にドイツで写楽の画集を出版し、世界で大ヒットするのです。
写楽の売り出しに失敗した重三郎は気力を失い、数年後に脚気により亡くなります。
享年48。
森下佳子さん脚本の時代劇
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』初回を見て思い出すのは、同じ森下脚本の『JIN-仁-』や男女逆転版『大奥』といった時代劇。
合戦もない、もちろん天下も取らないし、非業の死を遂げるわけでもない、畳の上で、脚気で死ぬ本屋のおっちゃんの人生を描く大河ドラマに森下さん自身が驚いたそうです。
NHKBS『英雄たちの選択』で蔦屋重三郎を特集していたので、まとめてみました。
蔦屋重三郎、大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では横浜流星さんが、映画『HOKUSAI』では阿部寛さんが演じてらっしゃいます。