私は土鍋で炊くごはんが大好きです。
まさに日本のソウルフード。
日本人とお米には2000年の歴史があります。
NHK『歴史探偵』で取り上げた「ごはんを炊く」歴史についてまとめてみました。
目次
弥生時代
コメ作りが今から2400年前の弥生時代から始まったことはよく知られています。
銅鐸に、米を脱穀している様子や高床式倉庫(米を貯蔵していた)のイラストが描かれています。
ただ、お米を調理をしている様子が描かれていません。
弥生人はどのようにお米を炊いていたのでしょうか。
お米を炊く時、弥生人は土器を使っていました。
土器にコメと水を入れ蓋をして、火にかけます🔥
当時のお米は熱帯ジャポニカで細長いタイプです。今でも東南アジアで栽培されています。
30分ほどで、吹きこぼれてきます。
土器を傾け、余分な水を捨てます。水分調節のためです。
土器を横に傾けたまま火にかけ続け🔥火の上で土器を転がしたりします。
中のコメ全体に火が通るように、炊きムラがなくなるようにするためです。
弥生時代前期に寸胴だった土器は、しだいに丸みを帯びたものへと変化します。
おかげで熱対流の効率があがり、コメ全体に火が通りやすくなりました。
古墳時代
古墳時代になると事情が変わってきます。
炊飯方法を変える必要がでてきました。
冷害に打ち勝つための温帯ジャポニカ
古墳時代、気候的に寒くなった時期でした。
寒冷化していた古墳時代は、江戸時代の天明の飢饉(冷害)の頃よりさらに寒かったのです。
お米は熱帯で育つ作物です。
そのため、熱帯ジャポニカではなく温帯ジャポニカ(現代私たちが食している品種)を栽培するようになったのではないか。
温帯ジャポニカは栽培環境の調節が難しいのですが多くの収穫量を見込めます。
米を蒸す
熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカ、2つの品種が共存したことで、その2種類のコメが混ざることで、炊きムラができるようになったので、それを改善すべく「蒸す」という調理法が主流になったのではないかという古墳時代の炊飯方法です。
かまどが古墳時代中期に大陸から伝わりました。
湯釜に重ねて、布に包んだコメを炊き上げます。
今まで焼いていた調理法から蒸す調理法に変わったのです。
しかし、蒸すには時間がかかり、そのため薪がたくさん必要になります。
蒸したお米って、もち米ならやるけど。お赤飯とかね。
戦国時代
戦国時代、蒸したお米は重宝されました。
この干し飯を作るには蒸したお米が最適でした。
以前のブログでは
江戸時代
江戸時代には大人気の歌舞伎から生まれた幕の内弁当が登場します。
冷めても美味しいごはんが「酢飯」や「おにぎり」になります。
でも庶民にとって、「ごはんを炊く」というのは大変な大仕事でした。
滝藤賢一さん主演のドラマ『家電侍』で江戸時代の「炊飯」について説明していました。
朝早く起きて薪割り、お米を研ぐため炊くための水汲み(共同井戸から運んでこなくてはならない)。
そして火打ち石を使って火起こし、その後は火を調節するためにその場を離れることができません。火加減の調節は耳が頼りです。
江戸の主婦は1年のうち、700時間を飯炊きに費やしていたともいわれています。
美味しさの秘訣は「重い蓋」
明治時代になって、食の欧米化が導入されましたが、やはり日本人の体には「米」が欠かせないでしょう。
美味しいごはんを炊くポイントは「重い蓋」にあります。
吹きこぼれを防ぎ、コメのでんぷんが外に漏れだすことを阻止することで「甘味」がでます。
お米の高騰はしばらく続きそう。
私は昨年6月の時点で、1年分のお米を予約して配達してもらっています。
なので値上がり前のお値段で購入できていますが、今年の申し込み時期にはかなり高くなっているだろうな。