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目次
「近代家族」の歴史
産業化・都市化が進行して生産と消費の機能が分離し、親族の紐帯が弱くなってきたなかで、夫・妻・子供が生活単位であることが一般化しました。
「子ども」は愛情深く教育に配慮されて育てるべき、女性が育児と家庭運営を中心的に担うものとされる「母性」概念が存在する「近代家族」という姿は、いつ頃から日本の常識になったのでしょう。
大正期以降、都市中間層を中心に「近代家族」が普及し、戦争により「男はお国のために戦う」「女性はお国のために戦う男子を産み育てる」となり、戦後の経済成長とともに都市化と職住分離が進行、多くの男性が「サラリーマン」化し、その妻が「専業主婦」となって日本での「近代家族」が普及したのは1970年代でしょうか。
そう考えると、歴史はとても短いのですが、家族とは夫婦と子どもからなるもの、夫=父親が経済的責任を、妻=母がもっぱらに家事育児を担う…という姿が大昔からあるような錯覚に陥っていないでしょうか。
狩猟採集時代、女性は洞窟で赤ん坊を抱いて夫が狩りから獲物をとって帰ってくるのを待っていたのでしょうか?
いえ、ほんの80年余り前まで、家族とは、生活に必要な資源の多くを自給自足に近い形でまかなう、生活共同体だったと考えられませんかね?
昭和男性の本音は?
今は世の中が変わってきているので、声を大にして発言する人は少ないと思いますが。
「子どもの世話をするのは母としての務め」「女性の幸せは家庭にある」「無償ゆえに尊い」等の規範や美辞麗句を心の奥底に隠し持っている男性は、今も多いかもしれません。
私の父(昭和ヒトケタ)は「自分が家族を養っている」という意識の強い人で、富山の祖母(父の母親)が農家を切り盛りして、畑も家のことも完璧にこなす姿が自慢でした。
専業主婦の妻(私の母)をいつもバカにしていたっけ。
TBS火曜ドラマ『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』
私が毎週楽しみにしている『対岸の家事』第9話では、おディーン様演じるエリートパパ中谷が「専業主婦は時代遅れ。そうやって世の中は彼女たちを見下す。なのに育児も介護も主婦がいる前提で未だに世の中は成り立っている。昼間の街から彼女たちがいなくなったら、その役割を誰が担うと思う?」と力説していました。
昼間の街から専業主婦がいなくなったら?
その仮定を私はもうずっと何年も前から思っていました。
世の中から専業主婦がいなくなったら。
住宅街に子供と高齢者ばかりが残されている昼間、防犯はどうなるのでしょう。
虎朗(主人公詩穂の夫)は詩穂と中谷が子連れで公園ですごしているのを「男と遊んで息抜きしてる」くらいに思っていたのですが、アルバイトの女の子から「それって遊んでるんじゃなくて、子供を遊ばせてるんですよ。」と指摘されます。
ドラマではおディーン様は、育児支援センターの遊び場でかなり子供をほったらかしているようにも見えるけど(笑)
かって、「専業主婦は贅沢」と言っていた中谷も、「専業主婦は絶滅危惧種」と言っていた礼子も専業主婦を見下す世の中に異議を唱えるようになりました。
バス停での出来事
また、『対岸の家事』第9話では、育児ノイローゼ気味のシングルマザーはるかが、ベビーカーでバスに乗ろうとすると、初老の男性に「このバス、混むからね。ベビーカーたたまなきゃだめよ。」と注意を受ける場面があります。
赤ちゃんはベビーカーからおろすと大泣きしてしまい、男性が露骨に嫌な顔をするというシーンでした。
ネットでは、犯罪まがいの行為をしているはるかへの批判はほとんどなく、このバス停の男性への批判が多く見受けられました。
片手で赤ちゃんを抱っこ、片手でベビーカーを持ち、バスのステップの乗り降りは大変です。
私は何年も前に同じ場面に遭遇した時は、迷わずベビーカーを持って乗り降りのお手伝いをさせてもらいました。
コロナ禍以降は、知らない人にベビーカーを触られるのも嫌かなと思い、躊躇するかもしれません。

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私自身、長男が小学校を卒業するまでは専業主婦でした。
その後パート主婦も経験しました。
専業主婦はもちろん、パート主婦(非正規職員)も正規で働く人たちから見下されることが多く、決して楽な働き方ではありませんでした。
なので、長女や二女が、そして長男の奥さんが、結婚後もバリバリと働いている姿は嬉しいのです。
そんな彼女たちを応援したいのです。