暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。その介護も終わり、片づけと大学通信教育部の勉強と猫と。そんな雑記ブログです。当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。収益はすべて寄付しています。

大隈重信遭難事件

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明治22(1889)年10月18日、当時外務大臣であった大隈重信の条約改正案に反対した玄洋社元社員の来島恒喜は、爆裂弾により、馬車上の大隈を襲撃、右足切断の大怪我を負わせました。

これが大隈重信遭難事件です。

136年前の今日です。

www.archives.go.jp

 

大隈は一命をとりとめたものの、右脚を大腿下3分の1で切断することとなりました。

大隈の右足の義足は佐賀県佐賀市大隈記念館に保存されています。

 

大隈重信遭難事件■
1889年明治22年10月18日玄洋社員だった来島恒喜が、この外国人の任用を内容とする条約案に対する抵抗を目的に、この交渉を外務大臣として推進していた大隈重信に対し、爆弾による暗殺を謀り、未遂に終わったものの、大隈が右脚を失う重傷を負い、来島も現場で自刃する、という事件が起こった。

 

画像はphotoACのフリー素材画像より

大隈側近であった矢野龍渓やのりゅうけいは、襲撃後4日目である10月22日付で徳富蘇峰に手紙を書いています。

矢野の見舞いのために訪れたであろう徳富蘇峰と面会がかなわなかったお詫びとみられます。

 

拝啓 御無音仕候 態々御来訪被下候處 欠禮到候 隈伯も近日快方に有之候 本日ハ十時頃体温三十七度一二分ナリ 脈搏は七十六七に有之 少々気懸も出来申 創口ハ最早や痛み去り申候 右之次第故 今三週間計りを経ハ床上にて人に接スル位ヒにハ相成り可申候 此ノ変事にハ大に痛心到候 生の如きハ政治上ノ事ヨリ寧シロ友誼上、其ノ病体に心ヲ奪ハレ、両三日ハ百事手にツカヌ有様に有之候 昨今稍ク事務ヲ纏メに取懸り申候 右ノ次第にて出入時無ク不在勝チ御座候 以上

 

この書簡は徳富蘇峰記念館に残されています。

HOME | 徳富蘇峰記念館

 

矢野龍渓は江戸、明治、大正、昭和期の武士、ジャーナリスト、著作家、新聞経営者、政治家という幅広い人物です。

冒険小説のルーツともいえる『浮城物語』を書き、この作品は一部の知識人から批判を受けるのですが、森鴎外徳富蘇峰からは擁護され、後の時代の冒険小説作家にも大きな影響を与えることとなります。

 

 

大隈重信九死に一生を得、木戸孝光や西郷隆盛大久保利通伊藤博文など維新を牽引した人たちが若くして亡くなる中、83歳まで長生きし明治のその先大正時代を見ることができるのです。

 

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大隈重信はここ2010年以降の大河ドラマに登場率が高いです。

朝ドラにも出てる!

福沢諭吉より多い。

伊藤博文とはタイですが、伊藤博文は朝ドラには出てない。