日本人が受賞したことで、国全体が喜びで沸き立っている「ノーベル賞」
でも昔に比べたら、日本人がノーベル賞をとることが珍しくなくなって以前より歓喜感が薄いような?
「ノーベル賞」という言葉は私も幼い頃から知っていました。
そしてその「ノーベル賞」創設には、アルフレッド・ノーベルの遺言がきっかけだったということは、小学生高学年の頃に読んだ「ノーベル」の伝記で知りました。
ノーベルはスウェーデンのストックホルムの貧しい家の4男として、1833年10月21日に生まれました。
192年前の今日です。

8人の兄弟がいたのですが、そのうち成人したのはアルフレッド・ノーベルを含む4人の男子だけでした。
父方の先祖にスウェーデンの科学者オラウス・ルドベックがいます。
アルフレッド・ノーベルは幼少期から工学、特に爆発物に興味を持ちました。
その後父親は爆発物の製造で事業に成功し、アルフレッド・ノーベルは十分は教育を受けることができます。
クリミア戦争(1853~1856)では兵器生産で大儲けしますが、その後破産、工場はアルフレッド・ノーベルの兄ルドヴィッグに任せます。
兄ルドヴィッグは事業を発展させますが、1864年爆発事故で弟を亡くし、またアルフレッド・ノーベル自身も負傷します。
そして、1866年アルフレッド・ノーベルは安全性の高いダイナマイトを発明するのです。
ノーベルにとってダイナマイトが戦争で使われることは想定内であり、むしろ破壊力の大きな兵器は戦争抑止力として働くと予想していたが、実際には高性能爆薬の普及により戦争の激化を招いたことで世間的には「死の商人」というイメージが広まっていた。Wikipediaより引用
アルフレッド・ノーベルは発明したダイナマイトが兵器利用され犠牲が生んだことに苦悩していました。
アルフレッド・ノーベルは生涯独身で子供がいませんでした。
1895年、アルフレッド・ノーベルは持病の心臓が悪化し、財産の大部分をあててのノーベル賞に関する遺言書を遺します。
- 候補者の国籍は一切考慮されてはならない
- 人類に最大の貢献をもたらした人々に賞を与えたい
などですが、その選出にも詳しく遺言に残されていました。
各賞の担当機関はスウェーデンとノルウェーの議会で選ばれます。
スウェーデンの機関
- 物理学賞
- 化学賞
- 経済学賞
- 生理学・医学賞
- 文学賞
ノルウェー議会任命の委員会
- 平和賞
平和賞だけなぜノルウェーなのか、諸説ありますが
と考えられます。
選考過程は50年間非公開です。
私が「ノーベル」の伝記を読んだ頃、日本人のノーベル賞受賞は3人でした。
日本で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹の伝記、女性で2度もノーベル賞を受賞したキュリー夫人の伝記もあわせて読んだ記憶があります。
私の子供たちが小学生の頃「偉人の伝記」を読んでいる姿を見たことがない。
今の子はあまり読まないのかな。

