先月「老い上手」「介護上手」について記事にさせていただきました。
仕事を辞め(介護離職😞)、長年暮らした北海道を離れて母と同居して介護したのは6年。
これを長いと感じるか短いと感じるか。
その間、心が折れそうになったことはありましたが、実母を娘が介護するというのはその他の関係の介護よりはハードルが低いと思っております。
母の介護において、今振り返ってみると「母は老い上手だった」と思えることはいくつかあります。
目次
両親が住み慣れた土地を離れてくれた
両親が住み慣れた金沢市にこだわらず、あっさりと首都圏の妹夫婦が住む場所の徒歩圏内に越してきてくれたことはありがたかった。
当時私は北海道に住んでいましたが、北海道を離れてひとり暮らしの母を介護する決断をする時、もしも金沢市であったら同居介護することは難しかったと思います。

私が北海道を離れて母と同居することを決めたきっかけは、私の子どもたちが全員首都圏に住んでいたことです。
3人の子どもたちが大学を卒業して首都圏内に就職を決めたタイミングで私は北海道から引っ越してきました。
母と同居することによって、子どもたちと日帰りで会えるようになりました。
これは私が将来介護される側になった時のことを考えても得策でした。
経済的な心配がなかった
父は70歳までサラリーマンとして頑張って働いてきました。
決して裕福ではありませんでしたが、無駄遣いせず贅沢とは無縁の生活でした。
投資などはまだメジャーではない時代で、父は趣味程度に株をやってったっけ。利益が出たのかどうかは謎。
おかげでそこそこの年金をいただくことができ、父は81歳で亡くなってしまったけど、母は遺族年金でその後も何不自由なく暮らすことができました。
たくさん働いてくれたのに、父はあまり年金を使うことなく亡くなってしまったのは残念ですが。

介護サービスやリハパンを受け入れる
母はひとり暮らしをしていた2014年の冬に転倒して一時期寝たきりになったのをきっかけに、介護認定を受け、ディサービスやショートスティなどを利用することにしました。
外交的ではない母は「喜んで参加」していたわけではありませんでした。
しかし、嫌がることなく、外面はそれなりにいいのでディでも笑顔で過ごすことが多かったらしく、スタッフさんに迷惑かけることもありませんでした。(たぶんw)
猫嫌いの母が、ウチのハナさんのことをスタッフさんに話しまくっていたというのも微笑ましい思い出(笑)

そして、リハパンを嫌がることがなかったのはありがたかった。
「結果論」ではありますが
母と喧嘩した時に母は「私を施設に入れなさいよ!」と怒鳴った時もありましたが、最期まで母と暮らすことができたのは、私にとっても大きな自信と達成感に繋がりました。
もしも母が施設に入所したら、経済面では大きな打撃となり、困窮生活とスレスレになったと思います。
亡くなる直前の数日間は寝たきりになりましたが、それまでは外出時に車いすを使いながらも家の中ではなんとか歩けるほどの健康体であったことは大きかった。
好き嫌いばかりで、晩年は野菜などほとんど食べなかったのに、病気らしい病気もしなかったのも助かった。
最近私は母の食生活を見習って(?)、お鮨やお刺身を選ぶ時は大好きなサーモンより先に「マグロ」を選ぶようにしています(笑)
マグロ、高タンパク質!
私自身は、できれば介護施設で穏やかに最期を過ごしたいです。
元気なうちに自分の希望の介護施設を自分で決めたいです。
お風呂が温泉の施設がいいなぁ~🛀←お風呂が温泉の場合、風呂掃除が大変だそうですよ💦
なるべく子どもがお見舞いに行きやすい場所の施設にしてください。

