暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

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実業家広岡浅子

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2015年のNHK朝ドラ『あさが来た』の主人公は広岡浅子でした。

教科書に載るような歴史の偉人ではないのですが、ドラマで広く人に知られるようになった人物です。

 

目次

 

広岡浅子

広岡浅子旧字体廣岡 淺子)は小石川三井家の6代当主三井高益の四女として、嘉永(1849)年9月3日に生まれました。

 

■三井家■
三井家(みついけ)は、藤原道長の六男藤原長家近江源氏六角氏の後裔と自称する商人華族だった日本の家江戸時代豪商三井財閥の創業者一族で、宗家と2分家は華族男爵家にも列した。引用:三井家発祥の地~三井広報委員会

 

NHK朝ドラ『あさが来た』では、本妻の子として描かれていましたが、史実では高益が50歳の時の子で本妻の子ではありません。

 

現在の日本橋三越

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結婚後の浅子

浅子は15歳で両替商加島屋(大名貸しをしてその利息で商売している)に嫁入りします。

浅子は結婚してから、炭鉱会社の経営や生命保険会社の設立だけでなく、日本発の女子大の設立にも関わっていきます。

結婚してから、算術など商売に必要な学問を学んだのです。

 

浅子が結婚してまもなく、時代は徳川幕府から明治へと変わります。

加島屋は、大名に貸し付けたお金を返してもらうことができず、1,000億円以上の損失被害を受けます。

店の商売に不向きだった夫に代わり、浅子は金策に走り回り、のれんをおろさずにすんだのです。

夫に代わって、浅子は加島屋の実質的な経営者となっていきました。

ただ、夫は遊び人でありながら、顔が広く、ビジネスの情報を浅子に伝えていたのですよ。

 

石炭ビジネス

加島屋を建て直すために、新しい事業を始めようと考えます。

日本は開国後産業の近代化を図るため、多くの蒸気船や蒸気機関車を導入しました。

そのエネルギー源である「石炭」に目をつけた浅子は1884年に石炭の販売代理店「広炭商店」を設立します。

石炭ビジネスは加島屋だけでなく日本ビジネスの発展に繋がりました。

 

当時、日本が海外に輸出していたのは生糸のほか銅などの天然資源です。

石炭を海外に輸出して売れば、日本はもっと豊かになるのではないかと考えた浅子。

浅子は石炭を国内だけでなく、上海に輸出しようと考えます。

しかし鉄道が整っておらず、石炭を運ぶコストが高すぎ頓挫💦

1886年、今度は福岡の炭鉱を買い取り、石炭の販売だけでなく産出に乗り出しました。

 

生命保険会社設立

浅子が次に手掛けたのは生命保険の事業です。

当時赤痢コレラなどの疫病が流行り、一家の大黒柱を亡くした後家族が困らないようにと、考えた事業でした。

生命保険会社が乱立する中、保険事業を軌道にのせるために浅子が考えた方法は他の会社と合併すること。

浅子が基盤としている関西以外の、関東の会社と北海道の会社と合併しました。

 

女子教育

画像はイメージです

浅子が手がけた最後の事業が女子大設立です。

良妻賢母を育てるための教育ではなく、

 

「一生のうちに何か一つのことをなしとげて、

それによって社会にも利益をもたらすことは女子にだってできる。

女子には男性に負けない可能性があり、

そのために高等教育が必要なのだ。」

 

という理念を掲げた成瀬仁蔵(梅花女学校校長)に共感し、日本発の女子大、日本女子大学の設立に資金集めなどに奔走します。

1901年東京目白に日本女子大学校が設立します。

平塚らいてうはこの日本女子大の出身です。

NHK朝ドラ『あさが来た』で大島優子さん演じる平塚らいてうが好きでした。

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また毎年富士山のふもとにある別荘で開いていた勉強会からは市川房江や村岡花子が巣立っていきます。

 

大正8(1919)年1月14日、浅子は腎臓炎のため亡くなります。享年71(満69歳)

107年前の今日です。

 

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広岡浅子村岡花子は朝ドラで主人公になっていますし、平塚らいてう市川房枝が登場する朝ドラもありましたね。

平塚らいてうは『あさが来た』『とと姉ちゃん』に、市川房枝は『虎に翼』に出ていました。

 

いずれも女子の社会進出のために奔走した偉人達です。