王道ではあるけれど、やはり戦国時代は面白い。

目次
豊臣四兄弟とその母
秀吉は4人兄弟でした。
姉のとも、弟の秀長、妹のあさひがいたのです。
秀吉は身内を大切にする人間でしたが、その血縁を数年の間に次から次へと亡くすことになります。
豊臣家の血筋は絶えてしまったのでしょうか?
あさひは秀吉の妹。
あさひは結婚していたのに秀吉の命令で離縁し徳川家康に嫁ぐなど晩年苦労し、4兄弟で1番早く、天正18年1月14日(1590年2月18日)に亡くなります。
『豊臣兄弟!』の主人公秀長は翌天正19年1月22日に亡くなります。西暦ですと1591年2月15日。435年前の今日です。50歳でした。
秀吉が最も信頼した「調整役」が世を去ったことは、豊臣政権にとって大きな転換点でした。
秀吉の母である大政所(なか)が亡くなったのはまたその翌年。天正20年7月22日(1592年8月29日)に亡くなったわけで、天正18~20年の3年間に次々と秀吉の身内が亡くなりました。
身内を大切にしていた秀吉です。
とくに母親の大政所が亡くなった時は、あまりの衝撃にその場で卒倒したといわれています。
この翌年に茶々が秀吉の子秀頼を産んだことも、秀吉の脳内に冷静さを失わせ、甥の秀次(姉ともの息子)を死に追いやる行動へとでるわけです。
秀吉の姉は長生きだった
その秀次の母が日秀尼、秀吉の姉であるともです。
とも(日秀尼)、秀吉、秀長、あさひの四兄弟の中で日秀尼だけが長生きします。
江戸時代の世をみることができた日秀尼は3人の子を産み、孫に恵まれ、その孫たちから子孫に繋げます。
豊臣家は滅亡していますが、日秀尼から豊臣の血筋は驚くほど華麗な形で現代まで繋がっているのです。
なぜなら、日秀尼の子秀勝が江(茶々の妹、織田信長の姪)と結婚していた時に完子という娘を残しているから。
秀勝は亡くなり、江はその後徳川秀忠と再婚していますが、完子は公家の九条幸家と結婚し、子孫を残しています。
完子の血は九条家を通じて多くの公家(一条家、二条家など)に広がりました。
明治17(1884)年、公爵九条道孝氏と側室の間に、大正天皇の皇后となる貞明皇后(昭和天皇の母)が誕生します。
えぇ、つまり九条幸家と完子が残した子孫は昭和天皇に繋がっているのです。
豊臣秀吉の息子、豊臣秀頼が大坂夏の陣で亡くなり、豊臣の血筋は絶えた…と勘違いしてしまいそうですが、秀吉の姉ともが長生きして孫に恵まれたため、その血筋は現代まで続いているのですよ。
秀吉の直系
大坂夏の陣で亡くなった秀頼には息子と娘がいました。
息子は8歳で斬首されましたが、娘である天秀尼(俗名は不明、奈阿姫ともいわれていますが史料上の根拠はなし)は家康の孫千姫の養女となることで助命され、鎌倉の東慶寺で生涯を全うしました。
彼女に子どもはいなかったため、ここで秀吉直系の血筋は途絶えたとされています。
それだけに、姉ともの血筋がいかに強く深く歴史に根を張ったかがわかります。
冷静な判断ができる秀長が生きていれば、秀次(ともの息子)の悲劇もなく、もっと穏やかな形で血筋が守られたかもしれない。
そんな歴史の「もしも」を考えながら『豊臣兄弟!』を楽しみたいと思います。
秀吉の好物
秀吉はどじょうを好み、その他魚介類が好きで特にかつお節を頻繁に食したそうです。
どじょうはたんぱく質だけでなくセロトニンに変化するというトリプトファンも多く含まれています。
かつお節もセロトニンが多く、100gのなかに1000㎎ほど含まれていると言われています。
貧しい農民の子として生まれた秀吉が泥だらけの田んぼに入ってどじょうを捕まえ食し、そのセロトニン効果で希望をもって武士社会に進んだのかもしれません。
日秀尼(とも)の夫、三好吉房(木下弥助)は『豊臣兄弟!』では上川周作さんが演じていらっしゃいます。
大好きな役者さんなので嬉しいです。
ついでにあさひの夫を前原瑞樹さんが演じているのも嬉しい!(^^)!
あさひとどのような別れ方をするのか、それを思うと悲しいけど(´;ω;`)


