先日記事にさせていただいたアリス・ベーコンが日本に関心をもつようになったきっかけは、留学生の大山捨松(旧姓山川捨松)をホストファミリーとして迎え入れ、家族同様に過ごしたからです。
アリス・ベーコンは著書『明治日本の女たち』の中で「1871年、日本の将来を担うにふさわしい教育を受けるために、士族出身の5人の少女がアメリカへ留学することになった」とし、幼き頃の捨松の日本での体験を次のように記しています。
何年も前に私は幸運にも、戦火(戊辰戦争)を生き延びたある少女(捨松)と出会う機会に恵まれた。若松という町に将軍側の兵が集まり、殿を守り幕藩体制を維持するために最後の一戦を交えていた。<中略>幼い少女たちまでもが、雨のように降りそそぐ敵の弾をかいくぐり、女たちが城の中で作っていた弾丸を塀ぎわで戦う男たちに届ける役目を負っていたそうだ。こうした体験を私たちに語ってくれたたおやかな少女に「恐くなかったの」と聞くと、「いいえ」と答えるのだった。
目次
日本最初の女子留学生
捨松は、会津藩の国家老の娘として、安政7年2月24日に生まれました。
西暦ですと、1860年3月16日。
166年前の今日です。
捨松は津田梅子らと一緒に、数え年12歳で日本初の女子留学生としてアメリカに渡り、知識と教養を身につけます。
ホストファミリーのアリス・ベーコンとは生涯の親友となります。
アメリカでは大学を卒業して学士号を得、後に看護師の資格もとります。
帰国後の生活
日本に帰国後は女子のための学校を作りたいという夢をもちますが、残念ながら思うようにはいかず、仕事に就くことすら叶いませんでした。
同じ留学生だった津田梅子が女子英学塾(後の津田塾大学)を設立することになり、捨松はアリス・ベーコンとともに全面的に支援します。
結婚後の生活
当時としては婚期を逃していた捨松でしたが、大山巌の後妻になります。
大山には先妻の子が3人いましたが、関係は良好だったにも関わらず、徳富蘆花が小説『不如帰』で捨松がモデルとされる意地悪な継母を登場させたため、世間の人に誤解を招きました。
捨松はこの風評被害のことで晩年悲しい思いをしたようです。
『ばけばけ』でもトキちゃんがラシャメンであると噂され、それがきっかけで松江を離れましたね。今も昔も無責任な世間の誹謗中傷は困りものです。
捨松は先妻の子以外に大山との間にも3人の子に恵まれ、多忙な主婦でしたが、生涯にわたって女子教育を支援し、慈善活動にも積極的、また大山家の資産運用も行うなどの才能もありました。
朝ドラ『風、薫る』
4月からのNHK朝ドラ『風、薫る』の大山捨松は多部未華子さんが演じられると発表されています。
NHKの発表によると主人公の一の瀬りんと大塚直美は捨松と関わっていくようです。
りんと直美は、鹿鳴館の華といわれた大山捨松(おおやま すてまつ)や明六社にも所属した商人・清水卯三郎(しみず うさぶろう)らと出会い、明治の新しい風を感じながら、強き者と弱き者が混在する“社会”を知り、刻々と変わり続けていく社会の中で“自分らしく幸せに生きること”を模索していく。
『風、薫る』の原案は『明治のナイチンゲール 大関和』です。
主人公一の瀬りんのモデルは大関和さんです。
陳列中にも、新たな品物が次々と持ち込まれる。外国人からの持ち込みがあると、英語とフランス語が話せる捨松が対応した。それがどういう品物なのかを聞き取り、良し悪しを定め、だいたいの値段を決めなければならないからだ。しかし、全体の指揮を取らなければならない捨松がたびたび持ち場を離れると、作業が滞る。そこで和は、思い切って捨松に声をかけた。 「少しですが英語が話せます。英語の対応は私に任せてください」 捨松は一瞬意外な顔をしたが、「That would be great.Thanks.(それはありがたいです)」と言って微笑んだ。和は俄然張り切り、以後外国人の対応はすべて引き受けた。
田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』 より引用
この場面は鹿鳴館でのチャリティーバザー「鹿鳴館慈善会」の準備の様子だと思われます。

アリス・ベーコンの著書『明治日本の女性たち』には朝ドラ『あさが来た』の主人公のモデルとなった広岡浅子も登場します。
日本にも、優れた商才の持ち主として全国的に知られる女性がいる。何をやっても商売上手だった家の生まれであるこの女性は、その資質を受け継ぎ、ある大銀行を含め、さまざまな事業を手がけて成功している。ところが、事業の案内書や新聞などには、彼女の名前はみあたらず、夫の名前だけが掲載される。しかし、聞いた噂がよほどの嘘でない限り、この一族の事業を実際に取り仕切っているのは妻である。その鋭い商売感覚とすばらしい決断力で、夫と共有する富を築いだのである。

