今日4月4日は「あんぱんの日」です。
明治8(1875)年4月4日、151年前の今日ですね。
2025年の朝ドラ『あんぱん』だったのは、天皇陛下に献上した日からちょうど150年目だったということも関係していたのかな。

まだ日本人にパンが馴染みなかった時代、木村屋の安兵衛はどうやって「あんぱん」を生み出したのでしょうか。
目次
木村安兵衛が東京で手に職をつけるまで
「あんぱん」の生みの親、木村安兵衛は明治維新によって職を失ったリストラ武士でした。
安兵衛の父親は農民でありながら、名字帯刀を許される待遇を受けていました。
文化14(1817)年、現在の茨城県牛久市に生まれた安兵衛は22歳で木村ぶんと結婚、婿養子となります。
ひたすら米作りに精を出していたのですが、小貝川の氾濫などで生活が苦しくなり、50歳で慶応3(1867)年、家族とともに江戸に移住します。
桑名藩の倉庫番となり、身分は低いながらも武士になりました。
しかし大政奉還となり、時代は明治になります。よって、安兵衛のような身分の低い武士は真っ先にクビになりました。
東京には安兵衛と同じようなリストラ武士が溢れます。
リストラ武士を救うためにできたのが授産所です。
授産所とは手に職のない武士に大工仕事・髪結い・小間物の商いなど生活の糧を得る技術を見につけさせる場です。
今でいう職業訓練校みたいな?
授産所に出入りしていた安兵衛は、「パン」を初めて見ます。
パンを売る商売を思いつきます。
パン屋を開店させる
妻のへそくりを基でに息子と一緒にパンを売る商いを始めます。
残念ながら、当初パンは全く売れなかった。
当時のパンは、イースト菌ではなくビール酵母でパンを発酵させていたため、独特の臭いや味だったので、日本人には受け入れられなかったのです。
しかし。それが急展開。
パンを食べると脚気が治るという事態になりました。
パンが脚気の治療食となったのです。
当時流行っていた脚気はビタミンB1欠乏に起こる病気です。
江戸時代まで食べていた玄米に代って、庶民が白米を食べるようになったために流行った病気です。
脚気を治すためにパンを食べるという人が増え、一時期は大盛況となります。
しかし、それが落ち着くと、またパンは売れなくなります。
あんぱん誕生
安兵衛は、「牛鍋」のように日本人の味付けにすれば、パンも売れるのではないかと考えます。
で、饅頭を思いつきます。

饅頭はもともと中国で中身を肉や野菜にして食べていた物。
それを日本人は餡を入れて食していました。
日本人が大好きな餡を、ビール酵母ではなく饅頭の皮のように酒種を入れたパンで包みました。
明治7(1874)年、安兵衛57歳の時にあんぱんの販売が開始されました。
1日4,000個を販売するようになり、店は大盛況です。
明治初期のあんぱんの価格は5厘(175円)というデータがあります。NHKEテレ『偉人の年収How much?』より引用
今とあまり変わりませんね。
明治天皇があんぱんを食す
あんぱんは木村家に縁のあった山岡鉄舟が仲介となり、徳川昭武を通して明治天皇に献上されます。
山岡鉄舟って誰?
明治8(1875)年4月4日、満開の桜が咲き誇る中、桜の花の塩漬けをあしらったあんぱんを明治天皇に献上しました。

明治天皇は召し上がった後「引き続き納めるように」とおっしゃってくれます。
これが評判となり、庶民にも「あんぱん」は馴染みのある食べ物となります。
あんぱんなくして日本のパンはない。
和菓子にヒントを得た日本独自のパンがあんぱんです。
あんぱんは徳川昭武の兄徳川慶喜にも献上されましたよ。
あんぱん10個(箱入)薄皮あんぱん こしあん 和菓子 全国菓子博覧会「大臣栄誉賞」受賞 福島県 昭和25年創業 手作り菓子工房 大野屋
徳川昭武は『青天を衝け』で板垣李光人さんが演じられていたのを思い出します。
板垣さん、『ばけばけ』にも出演されていた。後半は出番が少なくなって寂しかった。
昨年の朝ドラ『あんぱん』は面白かったけど、それに続く『ばけばけ』も面白かった。
今期の『風、薫る』にも期待です。
大好きな明治時代の話なので楽しみです。
今週のコロリ(コレラ)のストーリーは、令和のコロナ騒動を思い出させます。
お父さん(北村一輝さん演)がこんなに早く亡くなるとは。
そうだ、『青天を衝け』の主人公渋沢栄一の最初の妻も明治15(1882)年にコロナで亡くなったのでした。
コレラ感染拡大は井戸水の汚染も大きな要因でした。
主人公りんや虎太郎も水を汲んでいましたね。
『風、薫る』は今明治16年。
「清潔、大事」と山川捨松(多部未華子さん演)も言ってました。

