暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。その介護も終わり、片づけと大学通信教育部の勉強と猫と。そんな雑記ブログです。当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。収益はすべて寄付しています。

朝ドラ『虎に翼』の主人公、三淵嘉子

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『あまちゃん』『ひよっこ』『カムカムエヴリバディ』など、NHK朝ドラはモデルといわれる人物がいなくても好きな作品はたくさんあります。

でも近年では、モデルのいる朝ドラの方が盛り上がるようですね。

『ばけばけ』も『あんぱん』も好きでしたが、私は『虎に翼』が面白かったです。www.betty0918.biz

 

目次

 

三淵嘉子さん

NHK朝ドラ『虎に翼』の主人公のモデルとなった三淵嘉子さんは、台湾銀行勤務の武藤貞雄とノブの長女として、大正3(1914)年にシンガポールにて生まれました。

シンガポールの漢字表記のひとつである「新嘉坡」から「嘉子」と名付けられたそうです。

亡くなったのは、1984年5月28日。骨肉腫でした。69歳。42年前の今日です。

『虎に翼』の放送は2024年でしたから、ちょうど没後40年だったのですね。

 

弁護士になって判事になって再婚して

東京女子高等師範学校附属高等女学校(お茶の水高女)、明治大学専門部女子部を経て明治大学法学部に入学。

昭和13(1938)年、高等試験司法科試験に合格し同窓の中田正子、久米愛と共に日本初の女子弁護士となります。

 

終戦をはさむ3年間で弟、夫、両親の4人を失い、幼い一人息子と弟3人を養うため、昭和22(1947)年、裁判官採用願いを司法省に提出。

司法省民事部に採用され民法の改正作業に参加しました。

昭和24年、東京地方裁判所判事補、昭和27年には名古屋地裁で初の女性判事になりました。

そして、昭和31年に裁判官の三淵乾太郎と再婚するのです。

 

甘柑荘

三淵邸、甘柑荘

小田原にある三淵家の別荘甘柑荘かんかんそうは、そんな三淵嘉子さんが大好きだった場所だそうで、三淵家の子孫らが協力し保全しています。

三淵乾太郎の父である初代最高裁判所長官三淵忠彦が昭和初期に別荘として建て、晩年を過ごした数奇屋家屋です。

 

■数寄屋(奇屋屋)とは■

数寄屋(数奇屋)とは、日本の伝統的な建築様式の一つで、もともとは母屋から独立して建てられた「茶室」を指す言葉です。

「数寄(数奇)」とは和歌や茶道、生け花などの風流を好むことを意味し、「好みに任せて作った家」という由来があります。安土桃山時代から江戸時代にかけて、千利休などの茶人によって確立されました。

 

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小田原

「甘柑荘」の名称は、建物周辺にミカン(蜜柑)、夏ミカン、金柑などの果樹や梅の木が多く植えられていたことに由来します。

 

 

 

三淵邸のある小田原板橋は明治以降、風光明媚で温暖な気候の別荘地として注目されました。

三井財閥の益田孝(鈍翁)、三越社長などを歴任した野崎廣太(幻庵)、電力界の大御所松水安左左ヱ門(耳庵)、清浦杢吾、北原白秋、長谷川如是閑ら近代数奇者が茶室や庭を揃え文化交流の場となりました。

三淵邸「甘柑荘」の西隣には山縣有朋が構えた別荘「古希庵」があります。

 

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女性初の弁護士となった三淵嘉子さん。

現在再放送中の朝ドラ『ひまわり』の主人公が弁護士を目指すようになったのは弟の逮捕事件がきっかけでした。

先日読んだ雑誌には、新聞社に勤めていた時に著作権に携わる機会があり、それをきっかけに司法試験を目指して会社勤めの傍ら夜間のローススクールに入り、60代で弁護士となった男性が紹介されていました。