暮らしと勉強 Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。片づけと大学通信教育部の勉強と猫と介護と。雑記ブログです。

ジョン万次郎、サバイバルな生活とその後

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ジョン万次郎という人をご存じでしょうか。

井伏鱒二の小説で有名になり、大河ドラマにも何度も出演しています。

若くして、自分の希望ではないのに、アメリカに渡るハメになってしまった人物です。

土佐出身者といえば坂本龍馬が有名ですが、ジョン万次郎は土佐の漁師でした。

波乱万丈の人生でした。

画像はすべて、私が撮影したものであり、イメージです。

 

 

 

目次

 

無人島へ漂着

ジョン万次郎こと万次郎は貧しい漁師の息子。

万次郎自身も14歳の時に漁にでます。

それが運命に放浪されるきっかけとなるのです。

天保12年1月5日(1841年1月27日)、他の4人と共に万次郎が乗り組んだ船は強風に吹き流され、航行不能となり、7日間の太平洋漂流後、たどりついたのは伊豆諸島の無人島「鳥島」でした。

江戸から600km離れている火山の島です。

船は壊れ自力で海に漕ぎ出すこともできません。

 

鳥島は東京都青ヶ島村

天然保護区域であり、現在では上陸することができません。

 

実は鳥島には万次郎以前に12例も漂流した人たちがいるのです。

戻ってこれた人が12例であり、戻ってこれなかった人をいれれば、もっともっと鳥島漂着者はいるでしょう。

 

無人同でのサバイバル生活

無人島で万次郎たちはどんな生活を送っていたのでしょう。

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洞窟を住居にする

万次郎たちは漂着初日に洞窟を見つけることができました。

漂流で体力が消耗し、衣類は濡れていたであろう状態。そして1月の冷たい風。

漂流当初は低体温性で命の危険にさらされたかもしれません。

すぐに洞窟を見つけられたことで命をつなぐことができたのです。

 

海に囲まれた島。

生きていくために水の確保が必要でした。

鳥島は火山の島なので、岩から水がしみ出してくる場所があったのです。

自然の岩は活性炭と同様の濾過効果があり、岩のミネラル分が豊富に含まれるきれいな水を飲むことができました。

 

食料

グミの木があるくらいで(それも1月には枯れていた)食べられる木の実などない鳥島

しかし。

鳥島は、アホウドリの一大繁殖地。

空では優雅に飛ぶアホウドリも陸ではヨタヨタのどんくさい鳥。捕まえるのは容易でした。

アホウドリの肉を干物のように天日干しで食べていました。

酵素の働きでうま味も出て、ドライエイジング熟成肉のようになったわけです。

また魚を採り、カルシウムやEPADHAなどの栄養素も補給。

 

アホウドリと魚のバイキング状態の食生活で生き抜くことができたのです。

 

救助

誰ひとり病気することなく5か月が過ぎました。

 

遭難して143日目。

万次郎たちはようやくアメリカ合衆国捕鯨船に救助されます。

天保12年5月9日。

180年前の今日です。

 

アメリカでの生活

当時、日本は鎖国状態。

万次郎たちが救助された船はハワイに入港します。

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ハワイにて帰国のチャンスを待つことにした乗組員たち。

しかし万次郎だけはアメリカで暮らしたいとウィリアム・ホィットフィールド船長に申し出ます。

もっと大きな国を見たいという好奇心旺盛な若者でした。

アメリカでは万次郎はホィットフィールド船長の家にホームスティします。

日本語の読み書きすらままならなかった万次郎が学校に通い英語を習います。

卒業後は捕鯨船員として働き、また、金鉱にて金を発掘する仕事に就きます。

 

帰国

24歳の時に万次郎は日本へ帰国することを試みます。

鎖国状態の日本において、外国で暮らしていた万次郎の帰国は処罰される可能性がありました。

俺は日本人だ

どんな処罰にあおうとも

必ず日本に帰る

 

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これまで貯めた資金で小型ボートを購入し、嘉永4(1851)年、漂流してから10年後に、万次郎は日本(琉球)にたどり着きます。

厳しい取り調べは2年にも及びました。

 

しかし1853年に黒船が来航します。

大混乱に陥った幕府。

アメリカの情報が何もない江戸幕府は、万次郎を頼ります。

万次郎は、江戸で、アメリカの情報や英語、航海術などを幕府に提供することによって、高い地位を与えられることになるのです。

同郷の坂本龍馬は万次郎から大きな影響を受けたひとりです。

 

ジョン万次郎という人

万次郎は政治家にならないかと誘われるも、教育者としての道を選びます。

英語教師を経て、明治3(1870)年、開成学校(現東京大学)の英語教授に任命されます。

 

万次郎はおごることのない、謙虚な性格でした。

晩年は貧しい人に施しを行っていたといいます。

これはアメリカ暮しで、人種の違いなど関係なく分け隔てなく自分へ良くしてくれたホィットフィールド船長の影響かもしれません。

 

 

 

43歳の時、万次郎は65歳のホィットフィールド船長と再会を果たします。

写真が残っています。

明治31(1898)年、万次郎は71歳で亡くなります。

その後も万次郎の子孫とホィットフィールド家の交流は続いています。

アメリカには、万次郎が暮らしたホィットフィールド船長の家が現在も残っています。

ジョン万次郎の直系の子孫、中濱京氏が「ジョン万次郎の秘話・逸話」と題してブログを書いていらっしゃいますよ。

 

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