今日、母は3回目のコロナワクチン接種に挑みます。
いつも通っているディで接種をしてもらえるのでありがたいです。
1回目も2回目も副作用は1ミリもなく、元気だった母ですが、3回目になって副作用が出る可能性もありますので、今日は私どこへも出かけず、家でじっと待機です。
いつ呼び出しがあっても、対応できるように。
さて、今日はそんなワクチンについてのお話です。
コロナじゃないよ、スペイン風邪のワクチンです。
目次
スペイン風邪
およそ100年前。大正時代。
スペイン風邪。新型のインフルエンザです。
発端は、アメリカの軍事基地で死亡した48人の肺炎患者といわれ、あっという間に世界に広がります。
第一次世界大戦による人の移動がパンデミックを起こしたのです。
戦時下にあった各国は感染情報を隠蔽します。
中立国であったスペインだけが発表し、いつの日かスペイン風邪と命名されます。
世界で5億人が感染し、5000万人もの命を奪ったパンデミック。
大正7(1918)年9月、日本にも上陸。
病原体は湾港から入り、その後鉄道で地方都市へ運ばれます。
日本では第1波~3波があり、国民の半分が感染し、50万人が亡くなったとされています。
軍需景気の真っ只中。農村から来た炭鉱や製紙工場のような過密空間で働くことによってクラスターが発生したのです。
ワクチン開発
当時の医学界を率いた学者たちは未知の病原体からワクチンを作りだそうとしのぎを削ります。
ワクチンを求める政府や国民の声が、激しいワクチン開発競争へと進みました。
ワクチン開発の筆頭は、北里研究所所長の北里柴三郎と国立伝染病研究所所長の長与又郎です。
北里柴三郎
いち早く動いたのは北里柴三郎率いる民間の北里研究所です。
細菌学で世界をリードしていました。
北里研究所はスペイン風邪の原因はインフルエンザ菌という細菌(ウイルスじゃなくて細菌ね)だと断定し、これをもちいたワクチンの開発をしていました。
大正8年11月、インフルエンザ菌を用いたワクチン製造を始めます。
長与又郎
一方、東京帝国大学医学部教授の長与又郎が所長を務める国立伝染病研究所ではインフルエンザ菌以外の未知の病原体が作用しているのではないかと考えていました。
しかしそれを見つけることはできず病原体は「不明」のままでした。
長与又郎は、以前ご紹介させていただいた長与専斎の息子です。
国の威信がかかる伝染病研究所では、北里たちからおくれること1か月、北里たちが発表したインフルエンザ菌に肺炎の予防ワクチンを加えた混合ワクチンの製造を開始します。
細菌とウィルス
そもそも細菌よりさらに100分の1も小さいインフルエンザウイルスという存在が判明するのはこの14年後のこと。
大正8年当時の顕微鏡では細菌を見ることはできても、さらに小さいウイルスを見つけることは不可能だったのです。
現代医学の知見からは、2つの研究所で作られたワクチンは細菌を元に作られているため、インフルエンザの予防は疑わしいとされています。
効き目が疑問視されるままに接種
2つの研究機関が発表した異なるワクチンに国会まで波及。
ワクチンに対する期待から国への期待。
世論に押されて専門知識のない政治家たちが口を挟み、当時からワクチンの効果を疑問視する声があったものの、最終的には500万人以上がワクチン接種を受けました。
大正10年の夏を最後にスペイン風邪は終息しました。
ちょうど1年前に放送したNHKBSプレミアム『英雄たちの選択』からまとめてみました。
コロナとお付き合いを初めてから、もう2年になるんだなぁ。
北里柴三郎については、いずれまた機会があれば語らせてください。