1973年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』は、私が初めて観続けた大河ドラマでした。
斎藤道三が主人公だったこのドラマは、先週の『歴史ヒストリア』でも紹介されていました。
今日は『麒麟がくる』第3回のお話と合わせて、斎藤道三について語りたいと思います。
目次
1973年大河ドラマ『国盗り物語』
小学生だった私は『国盗り物語』で斎藤道三という武将を知りました。
演じていらしたのは、大河ドラマの主演が2回目という平幹二郎さん。
平幹二郎さん以外は、信長に高橋英樹氏、光秀に近藤正臣氏、秀吉に火野正平氏という若手がキャスティングされました。
織田信長には当初藤岡弘氏が候補にあがったそうですが、藤岡弘氏は『仮面ライダー』の撮影が多忙で、断らざるをえなかったそうです。仮面ライダー大好きだったわ~💛
後に藤岡弘氏は『おんな太閤記』と『春日局』で織田信長を演じていらっしゃいます。
斎藤道三という武将
斎藤道三の血筋
僧侶や油売りなどを経て、一代で国を築き上げた斎藤道三。道三と名乗ったのは晩年のほんの短い期間です。
『歴史ヒストリア』では、元々武士の家系であり、道三の父の代でなんらかの事情で、北面の武士から浪人になったと語っています。
なので、武士の血筋なのです。
先週の『麒麟がくる』第2回で土岐頼芸が悔し気に語っていたように、マムシこと道三は阿漕な手を使って、のしあがっていきます。
土岐家の内紛に乗じて頼芸を操り盛頼を追放したり、恩人である長井長弘を刺客を使って亡きものにしたり(by『美濃国諸旧記』)、主人である頼芸の側室(義龍の母)をもらい受けたり。
側室深芳野(みよしの)は南果歩さんが演じられてましたね。深芳野は頼芸の側室だった頃から道三と通じていたという説あり。不倫?でも南果歩さん私生活では不倫に苦しんでた・・・(´;ω;`)
帰蝶(道三の娘)は何度結婚した?
阿漕な手段。
そのひとつの手段が、娘を都合よく輿入れさせることでした。
斎藤道三の娘、帰蝶は幼くして美濃守護土岐頼純に輿入れします。
しかしその1年後、土岐頼純は亡くなります。(暗殺?)
『歴史ヒストリア』では、この後帰蝶が土岐八郎頼香(とき はちろうよりたか)と結婚したと語っています。
しかしこの土岐八郎もまた斎藤道三によって、自害に追い込まれます。
『麒麟がくる』では土岐八郎との結婚は描写しないかもしれませんね。
土岐頼純より先に土岐八郎に嫁いだという説あり。
時系列ははっきりしていません。
なので『麒麟がくる』では、土岐八郎に嫁いだ後に土岐頼純に嫁いだという設定なのかもしれません。
この結婚による斎藤道三と織田信長の和睦で、最後の邪魔者土岐頼芸も尾張から追い出されます。
ちなみに土岐頼芸は各地を転々としながら、けっこう長生きしています。享年81歳。晩年は盲目だった、甲斐の武田氏に庇護されていたという説あり。『麒麟がくる』では尾見としのりさんが演じてらっしゃいますが、ぴったりなキャスティング!
斎藤道三、なんて血も涙もない武将なのだ。
そのマムシっぷりがなんとも魅力的な本木雅弘氏演じる斎藤道三。
髭が似合う本木雅弘さん。
1980年代、ジャニーズで「ス、シ、喰いねぇ~♪」と歌って踊っていたモックンが、こんなに渋い役者になるとは誰が想像したでしょうか。
斎藤道三義龍の父子関係
こうやって、油売りから大名にまでのしあがっていく斎藤道三ですが、身を滅ぼしたのは父息子の関係でした。
息子と確執があるのは戦国の世の常。
道三の息子義龍にクーデターを起こされたのです。多くの家臣は義龍に味方しました。
武田信虎信玄親子しかり、大塚家具父娘問題しかり、いつの世も親と子で揉めることはあるのですね。
でも息子が親を追放したり、権力維持のため親が子供を犠牲にすることはあっても、子供の親殺しは少ない。
義龍は土岐頼芸から「内緒なんだけどね。あんたは、実は”俺の息子”なんだよ~ん。」と吹き込まれていたという説がありますが、これは『麒麟がくる』第3回で採用されていました。
斎藤道三の最期
義龍は自分の弟たちをも殺害し、父道三を孤立させます。
1556年、長良川の戦いにて、義龍は道三を追い詰めました。
援軍としてすぐそばに来ていたのは、娘婿である織田信長。道三を助けるために尾張から駆けつけてくれたのです。
でもそれ以上兵を進めることはしませんでした。
信長には道三が負けるとわかっていたからです。
『歴史ヒストリア』では、もしかしたら、道三の方でも信長が助けにこないことはわかっていたのではないか・・・と推測をしていました。火中の栗を拾う必要はないだろうと。
道三は自分が夢見た天下布武を信長が引き継いでくれるのではないかと期待していた。
そんな思いで、道三は最期を迎えたのではないかと。
だとしたら、歴史のロマンを感じますね。
「されば無念なる事に候、わが子供、たわけが門外に馬をつなぐべき事、案の内にて候」(by『信長公記』)
意味:たわけと呼ばれる信長に、残念ながらわが子たちはやがて屈服させられることになるだろう。つまり「自分の息子たちは、いつの日かこのバカっぽい信長の家臣になっちゃうんだろうな。こいつバカのふりしてるけど、才覚がありそうだもん。」ということ。
長良川の戦いから5年後、斎藤義龍は35歳の若さで急死します。
美濃の国を立て直すべく内政に勤しみ、重臣の意見を容れるための合議制を設けた良い当主だったようです。
そしてそれからさらに6年後の1567年。信長が斎藤氏の居城である稲葉山城を落とすのです。
熱く語る光秀
そんな時代はまだまだ先の『麒麟がくる』第3回。
1547年。
光秀は義龍に銃について熱く語ります。
その姿はふくちゃんにラーメンについて語る萬平さんを思い出しました。by『まんぷく』
私はまだまだ脳内スイッチが変換されていませんw
義龍(高政)は、光秀が熱く語る「銃」というシロモノにあまり興味がない様子。
そんな義龍(高政)にムッとなる光秀ですが、美濃を思う深い気持ちはふたりとも同じ。
この時義龍(高政)には、頼芸にささやかれた言葉(「自分は誰の子だ?」って・・・)に悩んでいたのですが、光秀の「(この国を)麒麟がくる国に(しよう)」という言葉に心打たれたようです。
さぁ、信長役の染谷将太さんにも秀吉役の佐々木蔵之介さんにも期待してますよ!
どうなる、『麒麟がくる』!
ところで、三河の民菊丸(架空の人物)やってる岡村隆史さんが、秀吉に見えちゃうのって私だけ?
岡村隆史さん演じる菊丸の背が伸びて整形手術して、数年後佐々木蔵之介さん演じる秀吉になって、光秀と再会するって発想はない?
まだ2月。でもドラマではまだ光秀は信長と会ったこともない。
1年間の大作とはいえ、放送開始は遅れるわ、夏はオリンピックのため放送しない日曜日もあるでしょう。
合戦だらけの下克上戦国時代を描くのに時間は足りるでしょうか。
2月3日、千葉県成田市の成田山新勝寺では毎年恒例の節分会があり、『麒麟がくる』から長谷川博己さん(光秀)、本木雅弘さん(道三)、市川海老蔵さん(語り)らが参加されたそうですよ。