まさかまさかの斎藤義龍のナレ死。
そして来週はいよいよ桶狭間の戦い。
時代が動くよ、天下布武が見えてくるよ。
どうする、光秀!!!
お~っと、その前にコロナ禍のせいでドラマは休止だ!!!
目次
『麒麟がくる』第19回「信長を暗殺せよ」あらすじ
光秀は越前で子供たちに学問を教えながら、静かに浪人生活を送っていた。しかし朝倉義景の命により、京にあがる。そこで懐かしき足利義輝、松永久秀、三淵藤英、細川藤孝、そして斎藤義龍や織田信長と再会する。光秀は義龍の信長暗殺計画を知り、松永久秀の力を借りて食い止めるのだった。
将軍足利義輝5年間不在の京
将軍足利義輝は、三好長慶により5年に及んで京から追放されていました。
それは朝廷にも新たな状況を作り出したのです。
将軍ないし将軍候補の足利氏が京にいない状況が恒常化すると、足利氏の力は低下していきました。
三好長慶の力が強くなる
12代将軍足利義晴の甥にあたる近衛晴嗣は前嗣と改名し、足利氏からの偏諱を解消します。
また九条稙通は養女を三好長慶の弟の十河一存に嫁がせた上、後継者の養子兼孝の参賀について長慶の後見を任せるなど、親三好の姿勢を強く打ち出しているのです。
天皇が足利氏を無視して改元する
おまけに弘治4(1558)年、正親町天皇は、将軍足利義輝に一切相談や通告をすることなく永禄に改元します。
室町時代の改元は天皇と武家の合意の下で行われます。なのに、いくら京を不在にしてたとはいえ、将軍を無視して改元してしまったのです。
義輝還京後の京都支配
永禄元(1558)年11月、三好長慶と足利義輝の和睦が成立します。
義輝は京に戻り、永禄8年5月まで三好氏が義輝を擁立する体制となります。
けれども、結局義輝は山城国や京都を支配することはできませんでした。
力関係は三好氏が上でした。
義輝は三好方に娘を人質として送っていることからもそれは明らかだったのです。by 『言継卿記』
足利義輝は、武田信玄と上杉謙信、毛利元就と尼子晴久、元就と大友宗麟など諸大名の和睦の斡旋に努めましたが、多くは場当たり外交に終始します。現代のどこかの政治家みたい😓
『麒麟がくる』でも、織田信長は、以前に将軍に今川義元との和睦を願い出ていました。
今回も上洛して「義元と斎藤義龍に兵をひくように言ってくんね?」と頼んでました。
でもなんだか足利義輝のお返事はピントがずれてますね。
信長も「コイツ頼りにならんな。」と思ったようです。「尾張が心配だから帰るわ。」と光秀に言い残してとっとと去ってしまいます。
近衛種家
ところで。
朝倉義景の継室は近衛植家の娘です。
そして、先週の話ですと、尾野真千子さん演じる伊呂波太夫はどうやら近衛家で育てられたらしい。
ここで繋がりましたね。
伊呂波太夫はこの先もいろいろと絡んでくるような気がします。
明智光秀の「わたしにはわからなくなってきました」という思い
「十兵衛、おぬしいった何がしたいのだ。」と義龍に聞かれた光秀は「『大きな国』をと道三さまはおっしゃった。道三さまのそのお言葉がこの胸の内にあるのだ。」と答えます。
「もう会うこともあるまい。」と光秀に言った斎藤義龍のその姿に、今回のMVPあげたい!
「家督を譲る相手をまちがえた。まちがいは正さねばならぬ。」と斎藤道三は言った。
先日テレビ朝日の『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』で、明智光秀の子孫であるという15歳イケメン男子が言っていました。
「光秀は天下をとるつもりはなかったのではないか。主君を討った者は成敗されるべきであろうと思って、敢えて負け戦を選び山崎の合戦に挑んだのではないか。」と。
「本能寺の変」は光秀が信長を討った理由が謎で、その真実は今となっては知るよしもありません。
でも私は、そしてこの『麒麟がくる』では、光秀は「織田信長は天下をとるべきではない。まちがいは正さなくてはならぬ。だから自分は信長を討つ。」そんな思いで本能寺へと向かうのではないか・・・と思うのです。
松平元康が登場
いよいよ来週は竹千代くんが松平元康となって、登場しますよ。
予告で風間俊介さんの姿見たら、心躍るような気持ちになった。
わくわくがとまりません。
来週が楽しみだ!
今回の京における記述はこちらを参考にさせていただきました。