暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。その介護も終わり、片づけと大学通信教育部の勉強と猫と。そんな雑記ブログです。当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

『非国民な女たち~戦時下のパーマとモンペ』

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大学の先生に薦められた本です。

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飯田未希さんの著書『非国民な女たち』です。

春先に購入したのですが、ようやくじっくり読めました。

 

目次

 

私たちが知るドラマからの戦時中の女性たち

NHKBSプレミアムで朝再放送している連続テレビ小説あぐり

主人公のモデルは美容師吉行あぐりさんです。

戦時下、美容院を経営していた主人公あぐりは、国防婦人会の女性を始め、世間から「パーマネントはやめませう」と非難されます。

そして泣く泣く、パーマネントの機会を手放す…というストーリーです。

あぐり』だけではなく、多くの戦争中を扱ったドラマでこういった光景が描かれます。

 

国防婦人会

8月14日の夜9時からNHKスペシャルで『銃後の女性たち~戦争にのめり込んだ”普通の人々”~』を放送していました。

NHKぷらすで、8月21日㈯午後9時49分まで観ることができます。

女性の活躍が少なかった時代、「国防婦人会」は「社会参加」の機会でした。

会員数は実に1千万人。

普通の主婦たちが近所の女性たちに戦争の協力を求め、熱狂的に男性たちを戦地へと送りだしていたのです。

 

本当に女性たちはパーマをかけずにモンペを履いていたのか

戦時中のパーマネント事情

戦時期は統制経済のもと節約・自粛が求められます。

しかしその時期は、明治から入ってきた欧米化が進み、女性の洋装が広まりおしゃれの意識が変化した時代と重なります。

飯田未希さん著『非国民な女たち~戦時下のパーマとモンペ』では、「贅沢は敵」と非難されたパーマネントは戦中も大流行しており、店は大行列、防空壕にもパーマ機が持ち込まれたという事実を考察しています。

 

明治期に日本髪の不衛生さと非活動性が問題化され、パーマネントのおかげでようやく着物に似あう短髪が可能となり、女性たちは活動的になってきたところだったのです。

頭髪全体にパーマをかけることで髪の毛にボリュームが出て、和装とのバランスがよくなることに女性たちが気がついた。

戦時中は、美容院に石が投げ込まれたって聞いたことあるけど。

「石を投げられてもパーマをかけたい」非難の的となりながら女性たちの間では戦時中でも流行していたのです。

 

女性のモンペスタイル

戦時の女性はモンペスタイルとしてイメージされることが多いのです。 

和服に真っ白な割烹着姿の国防婦人会の女性たちとか。

女性の真っ白なカッポウ着姿は戦争協力のシンポリックなイメージとして認められていました。

 

モンペはもともと農村の女性たちの活動着であり、和服の上から着用して、着物の前部が開いてしまうのを防ぐものでした。

戦時下では、訓練中に和服の裾が開くことを嫌がった女性たちがモンペを着用して参加することが増えていったようです。

しかし現代の私たちが(戦争を扱ったドラマに影響されたせいか❓)想像するより、実際にはモンペの普及は遅かった。

女学生はともかく、一般家庭の女性たちの間にはなかなか広がらなかった。空襲が頻繁になった昭和20(1945)年頃にようやくモンペを履く女性が多くなりました。

終戦近くになった7月の東京で「ワンピースに下駄で出歩く主婦が多い」と警視庁防空課で問題になっているくらいです。

 

美を求める女性たち

美を求める女性たちは、「奢侈しゃし的」「非国民」と公からは排撃されます。

それでも統制と近代化の狭間で社会問題となりながら、髪型や服装にこだわった女性たちの背景がわかってきます。

この本を読むと、パーマネントをかけ「アメリカニズム」的な洋装でおしゃれを楽しむ女性は、戦時中であっても、私たちが想像している以上にたくさんいたのではないかということがわかってきます。

 

 
 
史料批判は、歴史学を学ぶ上で不可欠です。
何百年、何千年前ではなく、ほんの76年前の今日終わった太平洋戦争。
そんな最近の歴史であっても、史料を鵜呑みにするのではなく、「事実は違うのではないか」と考察する必要があるのです。